猪熊建夫
第135回
東京の西郊・国分寺市にある小中高一貫の私立共学校だ。明治時代に設立された伝統校で、早稲田大学の「系属校」だ。生徒のほとんどが推薦で早大に進学できるため人気が高い。略称は「早実」だ。

第134回
六甲学院高校は、神戸市灘区にある。六甲の山並みを背景に、校舎からは神戸の街と海が眼下に広がる。カトリック修道会のイエズス会を母体とする中高一貫の私立男子校だ。

第133回
「ゆうひがおか」高校という。大阪市天王寺区にある。旧制島之内高等女学校が前身で、大阪府立の女学校では4番目の設立だった。府立高校として唯一の音楽科がある。

第132回
日本大学第二高校は東京西郊の杉並区の閑静な住宅街の中にある、男女共学の私立中高6年制一貫教育校だ。日本大学系列の高校と6年制中等教育学校は、合わせて全国に26校あるが、その中で2番目に古く、進学校として定評がある。

第131回
日向灘に面し、宮崎県北部にある延岡市。「工都」といわれる。県立延岡高校は、1899年設立の県立延岡中学校を前身とする伝統校だ。

第130回
太平洋に面し、東北地方で3番目に人口が多い福島県いわき市。旧制磐城高等女学校をルーツとするのが県立磐城桜が丘高校だ。個性的な卒業生をさまざまな分野で輩出してきたことでは、全国的にも特異な存在だ。24年度に創立120周年を迎える。

第129回
浅野高校は京浜工業地帯や横浜ベイブリッジを眼下に見下ろす横浜市神奈川区の高台に位置する。戦前からの100余年の校歴がある男子のみの中高一貫私立校だ。全国有数の進学校として知られている。まずは、企業の創業者を紹介しよう。

第128回
「日本一暑い街」として知られる多治見市。岐阜県の南東部にあり、電車で名古屋まで約30分で行ける。そこにある県立多治見北高校は、全国的にも珍しい「65分授業」を実施する進学校だ。

第127回
「しじょうなわて」高校と読む。大阪市の東にあり、奈良県と接するのが四條畷市で、大阪のベッドタウンだ。前身は1903年に創立された大阪府立四條畷中学校だ。略称は「畷高(なわこう)」。

第126回
東京・世田谷区の閑静な住宅街の中にある。中高一貫のキリスト教系の私立女子校だ。「考える恵泉」をキャッチに、「自ら考え、発信する力」を養うことを、教育の柱に据えている。

第125回
県下で最初の旧制中学・富山中学校として1885年に発足したのが、富山県立富山高校だ。明治時代から、時代をリードする有為な人材を輩出してきた。発想が斬新で、時代の先端を走る卒業生を、紹介しよう。

第124回
山形県南部の米沢平野にある県立高校だ。江戸時代から幕末にかけて上杉家米沢藩が領した城下町で、米沢興譲館高校はその藩校をルーツとしている。約330年の校歴を誇り、日本の公立高校で最古ともいえる。

第123回
多くの政治家や経営者が巣立っただけではない。麻布高校(私立・東京都港区)の真骨頂は、長ずるに及んで学者や文化人として活躍した卒業生がたくさんいることにある。国際政経学者、小説家、画家、俳優、音楽家…と実に多彩だ。

第122回
麻布高校は、東京・港区にある中高一貫6年制の男子校だ。「自由闊達そのもの」の校風を誇っている。日本の名門私学の典型であり、英国のイートン校やハロー校によく例えられる。キャリア官僚OBには、退官後も古巣の役所の応援を続ける「過去官僚」と、退官後は霞が関の中央官庁や官僚批判に走る「脱藩官僚」の2つがある。後者の立場を貫いて反骨の評論家になっている麻布OBを、まずは紹介しよう。

第121回
日本海に接し、石川県南部に位置する小松市。小松製作所や、歌舞伎の勧進帳の舞台となった安宅の関が知られている。小松高校は、1899年開校の県第四中学校をルーツとする伝統校だ。

第120回
浦和第一女子高校は、埼玉県庁が置かれているさいたま市浦和区の住宅地の中にある県立高校だ。全国の公立の女子高で校名に「第一女子」を使っているのは、ここだけだ。通称「一女」で通っており、名門の女子校だ。

第119回
江戸時代から商業都市として栄えた鳥取県米子(よなご)。この地に1899年、鳥取県第二中学校が創立された。米子東高校の前身であり、鳥取西高校、倉吉東高校と共に、鳥取県の公立御三家に数えられてきた。略称は「米東(べいとう)」だ。

第118回
三重県東部にあり、伊勢神宮の鳥居前町として江戸時代から発達した宇治山田市。現在は伊勢市になっている。この地に三重県立四中として設立されたのが、現在の県立宇治山田高校だ。

第117回
神奈川県のほぼ中央に位置し、相模湾に面する平塚市。東海道五十三次のうち日本橋から7番目の宿場町として徳川時代から栄えていた。神奈川県立平塚江南高校は、公立としては県内2番目に設立された旧制高等女学校を前身とする。略称は「江南」だ。

第116回
高度経済成長期の1961年に創立された島根県立の高校だ。令和時代に入り、理数科を廃止し「探究科学科」が新設され、「南高新時代」が始まっている。東京・霞が関といえば中央官庁の集積地として知られるが、そのキャリア官僚の間では松江南高校は、ちょっとした有名校だ。卒業生の中から藤井秀人、太田充という2人の財務事務次官経験者を、出しているからだ。
