『8月16日ついに来たるべきものがきた。“歴史的瞬間”であった。
 それは第2次大戦後の4分の1世紀の間、世界経済の安定と成長を支えてきた大黒柱が音を立てて崩れ落ちた瞬間といっても過言ではない。
 このときから、確実に新しい時代が始まる。
 それはどんな世界だろうか。
 これまでの経験を振り返りながら、その方向を探り、それが何をもたらすかを模索してみたい』

 第2次世界大戦後の国際通貨体制(ブレトンウッズ体制)では、各国通貨はドルに固定され、ドルは金と交換可能とされていた(金1オンス=35ドル)。米ドルと金の兌換停止というニクソンの声明は、米国が自らドルの基軸通貨としての役割を放棄するようなものだった。「ドル自爆」と表現されているのは、それゆえである。

 ドルと金の結びつきが断ち切られたことで金本位制は完全に終了し、以降、各国の通貨はそれぞれの政府の信用に基づく不換紙幣として扱われるようになった。そして各国通貨は固定相場から、通貨の価値が市場の需給により決定する変動相場制へと移行していく。

 円も71年12月、それまでの1ドル=360円から308円へと新たな交換レートに切り上げられ、さらに73年からは現在まで続く変動相場制に移行することになる。

【60】1972年
田中角栄「列島改造論」に
突きつけた3つの条件

 72年7月7日、「日本列島改造論」という政策ビジョンをぶち上げた田中角栄が首相の座に就いた。この政策は、全国のインフラ整備や地方の産業振興を通じて、東京一極集中を解消し、全国の均衡ある発展を図ることを目的としたもので、同名の著書は90万部を超えるベストセラーになった。

「ダイヤモンド」は1972年8月5日号で「日本列島改造論の成立条件」として、同政策の課題を指摘している。

1972年8月5日号「日本列島改造論の成立条件」1972年8月5日号「日本列島改造論の成立条件」
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『田中首相が打ちあげた“日本列島改造論”が注目を浴びているさなかの7月24日、“四大公害訴訟”の3番手――四日市公害訴訟に判決が下された。この判決結果は、四大公害訴訟の前2回判決(富山イタイイタイ病訴訟、新潟水俣病訴訟)に続いて、三たび企業側敗訴となった。
(中略)
 日本産業の国際競争力は、近年、飛躍的に強化された。だが、判決のいうように、世界最高の技術や知識を動員する実力も併せ持ち、経済性を度外視して公害防止投資を行なっても、なお国際競争力を持ちうるかどうか。
 もし、公害絶滅のために、企業が競争力を失えば、これに携わっている国民の経済生活も大きな不安に陥る。国民としては、公害によって生命・身体の安全を脅かされるのは絶対に容認できないことだが、そのために経済生活が不安に陥ることも避けてもらわねばならない。
 この2つの課題が両立する道を、だれが教えてくれるのだろうか。田中首相によれば、それを実現するのが、日本列島の改造であるという。では、その"日本列島改造論”は、具体的に何をやり、そのためにはどんな条件が必要とされるのか』

 同号で指摘した課題は、大きく3点。改造論では「電力、通信、上下水道などの基礎的インフラの充実とともに、交通インフラの整備を推進し、地方と都市のアクセスを改善すること」を掲げているが、民間機構のみ地方分散を唱えても権限が中央に集中していては意味がないので、行政改革とともに行政機能の地方分散が欠かせないというのが1点。

 次に太平洋ベルト地帯に集中する工業分野の再配置政策については、公害対策が不可欠だが、公害防止コストの負担については企業だけに求めるのではく、官民一体で行うべきであること。

 そして、土地政策については、狭い国土を最大限有効活用していくために、すべての土地は全国民のものという認識に立ち、私権の制限にまで踏み込むべきだとの注文をつけている。

「日本列島改造論」は日本のインフラ整備と地域経済の発展において貢献は大きかったが、“列島改造ブーム”に便乗した土地買い占めや投機ブームが発生し、不動産価格や物価の高騰を招いた。また、地方都市の発展が促進された一方で、公共事業依存の地方経済が形成されるといった課題が残ったのも事実である。