【62】1974年
狂乱物価で盛り上がる
「大企業悪玉論」に反論

 石油危機は国民生活を直撃した。1973年、74年の物価は2桁の上昇率を維持し、当時の福田赳夫蔵相「物価は狂乱状態」と表現した。

 そんな中、74年2月の衆議院予算委員会で、ゼネラル石油(現東燃ゼネラル石油)の社内通達文書にあった「石油危機は石油製品の大幅値上げを図り、利益を得ることができる千載一遇のチャンス」という一文が暴露された。狂乱物価に苦しむ消費者の間で、「大企業悪玉論」が盛り上がる。便乗値上げや、必要以上の値上げによる「超過利潤」を指摘する声が高まった。

「ダイヤモンド」1974年4月6日号の特集「企業は諸悪の根源か?」は「経済の論理からみたマンモス企業の罪と罰」との副題で、“大企業たたき”の是非をQ&A形式で論じている。15テーマ22ページにわたる構成で、冒頭では「物価狂乱の犯人は企業にあらず」と、狂乱物価の背景を冷静に説明している。

1974年4月6日号「企業は諸悪の根源か?」1974年4月6日号「企業は諸悪の根源か?」
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 まず最初に聞きたいのだが、昨年末から本年初めにかけての物価狂乱が、すべて企業の責任のようにいわれているが、本当にそうだったのだろうか。
 確かに一部には便乗値上げ的な動きがあったろうし、企業の行動が物価高を誘発した面もあったことは否定できない。しかし、物価問題の本質がそんなところにあったんじゃない、ということだけは断言できる。
 というと……。
 なぜ物価が乱舞したかといえば、その答えは簡単で、世界中が石油を中心にハイプライス時代に入ったからだ。72年から73年にかけて、あらゆる資源、原材料の価格が2倍ないし3倍に値上がりした。日本のような資源輸入国は、この世界的ハイプライス・システムを避けて通るわけにはいかないのだ。
 消費者物価が20%上がった、卸売物価が35%も上がった、と大騒ぎして、これはすべて大企業のせいだと決めつけても、問題は一向に解決しない。むしろこの際、日本としては、他の資源国以上にハイプライス・システムというものを積極的に受け止めて、それを基にした物価政策を少しでも早く打ち立てるべきだと思う。
 世界中がハイプライス時代に入ったのに、自分の国だけはロープライス・システムでいくんだ、といったナンセンスな考え方が、結局企業批判につながっているんじゃないか』

 実際、73年度の上昇率(74年1~3月の前年同期比)35.4%のうち、約4割が国内需要逼迫による分で、約6割が原油をはじめ小麦や大豆、繊維原料、金属原料などその他一次産品の市況高騰など海外要因に基づくものだった。経済がグローバル化する中、日本だけがその影響外にいられるわけではない。

 公害や環境問題から始まった高度成長経済に対する批判は、石油戦争の勃発で、ますますエスカレートした。資源のない国ニッポンは、もはや“GNP至上主義”を完全に放棄しろ、という声に包まれてしまった。同時にそれが、いままでの企業悪に対する批判となっているわけだが、このへんを“経済の論理”からみると、どう解釈したらいいのだろう。
 結論からいおう。日本は昭和30年代から高度成長経済を続けてきた。しかし現在はいままで以上に、生産第一主義の原点に立ち帰り、物およびサービスの生産を拡大していく必要があると思う。
 高度成長論の復活か?
 そうじゃなくて、これからの日本は“くたばれGNP”ではやっていけない、ということだ。早い話が石油の価格が、たった1年間で3倍にもなった。この高いアブラを買うカネがなければ日本は立ちゆかない。そのカネをつくるためには、輪出をして外貨を稼がなければならない。外貨を稼ぐためには生産性を上げなくちゃあいけない。そのためには生産第一主義でGNPのパイプを太くしていかざるをえない。現在とる道はこれしかない、ということだ』

「くたばれGNP」とは、当時「朝日新聞」が「GNP(国民総生産)以外に豊かさを測る指標はないのか」と疑問を呈する連載を組み、経済成長ばかりを優先する政策を批判したものだ。「ダイヤモンド」はそれを真っ向から否定し、「何もない日本が生きていくには、原料を輸入して、製品を輸出し、その小さな“あがり”をできるだけ効率よく膨らませていく以外に手はない」と結んでいる。