【97】2009年
官僚主導から政治主導へ
民主党・政権交代の実力
2009年8月30日、民主党が総選挙で大勝した。戦後、結党(保守合同)以降、細川・羽田内閣の一時期を除いて長らく政権を維持してきた自民党は下野を余儀なくされた。自民党政権に対しては、リーマンショックによる経済危機への対応や、格差の拡大、年金問題などの対策に国民の不満が蓄積していたことに加え、06年以降、安倍晋三、福田康夫、麻生太郎と3人の首相が短期間で交代したことで、リーダーシップの欠如も批判されていた。
与党に躍り出た民主党は、「官僚主導から政治主導へ」というスローガンを掲げて政権交代を果たす。2009年9月12日号では、「民主党圧勝 未開なる権力の『恍惚と不安』」と題した特集で、その実力を占っている。焦点は、新政権は霞が関を従え、新しい政治主導の意思決定システムを構築できるか、である。
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(1)各官庁に政務三役(大臣、副大臣、政務官)、大臣補佐官など与党議員約100人を配置し、政務三役を中心に政策を立案、決定する。事務次官会議は廃止。
(2)「行政刷新会議」を設置してすべての予算や制度の精査を行ない、ムダや不正を排除する。
(3)官邸機能強化のため、首相直属の「国家戦略局」を設置する。経済財政諮問会議は廃止。
(4)事務次官・局長などの幹部人事について、内閣一元管理による新たな幹部職制度を整備する。
(5)中央省庁による天下りの斡旋を全面的に禁止する。
(1)(2)(3)については、10月に開かれる臨時国会に一括法案として提出される見込みだ。一気に(4)(5)まで盛り込まれる可能性も残る。8月31日に締め切った各省庁の来年度予算の概算要求基準は白紙に戻すと、明言した。
「今はひたすら(民主党の)ご指示待ち」と主計局幹部は、身を縮める。
「民主党版の行政改革がそのまま実現すれば、憲法改正に匹敵する革命だ」と財務省幹部は戸惑いつつ、自信ものぞかせる。「われわれはあわててはいない。小泉内閣時代の経済財政諮問会議で経験ずみだ。骨太の方針の”骨太”は財務省抜き、という意味合いだったが、結局は財務省が支えなければ動かなかった。国家戦略局も経済財政諮問会議と大差はないだろう」。
(中略)
問題は、民主党政権下に新しい族議員が誕生しかねないことだ。民主党にも部門部会議という自民党の農林部会同様の組織があり、「メンバーである農協出身議員らは、自民党族議員と同調していた」(農水省幹部)。党の違いより、“仲間の類似性”のほうが、強固だ。
厚労省幹部は、「小泉改革を果たすべく委員会に名を連ねた若手議員が、利権体質に染まっていくのを目の当たりにした」と明かす。初めて与党に転じた民主党は、今まさに同じ権力腐敗のリスクに晒されているのだ。
政治主導とはあくまで官邸主導であって、決して族議員主導ではない。小泉内閣後の経済財政諮問会議を見る限り、「官邸主導とは名ばかりで、族議員への事前根回しが暗黙のルールとなった」(内閣府幹部)。族議員が付け込むのか、官僚が誘導するのか。民主党が未開なる権力を前にした"恍惚と不安”から早く抜け出せなければ、目玉の国家戦略局も同じ陥穽にはまるだろう』
以上のように、「脱官僚政治」の難しさを指摘し、民主党の実行力については手放しで評価することはしていない。実際、話題を呼んだ行政刷新会議による「事業仕分け」のように、政権発足当初こそ政治家主導を試みた民主党だが、経験不足や官僚との調整不足が原因で、個々の政策の実現については難航した。また、経済や外交、東日本大震災などの対応に苦慮し、支持率が低下。結果的に、脱官僚政治の目標は期待されたほどの成果を上げられず、短期間での政権交代につながった。