青木「オレに“引退”という言葉はない」
倉本「トーナメントは我々が運営しなきゃ」

 インタビュー当時、男子ツアーの人気は低迷していた。青木はその原因は選手にあるとし、「最近の選手はうれしさ、悔しさの表情が少ない」と指摘している。

 その上で、「自分のカラーをつくり、もっとアピールしてほしい。そしてプレーで魅せてほしい」と求めている。海外で「帝王」ジャック・ニクラスなど超大物と渡り合ってきた青木の本音がにじんでいる。

写真:青木功Photo:Gregory Shamus/gettyimages

 終盤、青木は「いつかゴルフができなくなる日が来る。その時が引退だが、絶対に悔いを残したくない」と吐露。その上で、ゴルファーやビジネスマン向けにこんなメッセージを残している。

「これしかないと思って選んだのだから最後までやる。ビジネスマンも一緒だろう。自分で選んだ仕事に対して飽きるなと言いたい。会社で居づらくなるのは、努力が足りない証拠。入社したときの初心をもう一度振り返ってみるべきではないか」

 そしてラストは、“青木節”でこう締めくくっている。「だからオレも引退という言葉はない」。

「週刊ダイヤモンド」1996年4月27日号は、AONと共に80年代のゴルフブームをけん引した倉本昌弘のインタビューを掲載している。当時、ギャラリー数の伸び悩みなどで日本のツアーは曲がり角を迎えていた。選手会会長の任にあった倉本は、日本の男子ゴルフが抱える構造問題を解説している。

 倉本はまず、自身も参戦していた米ツアーの特徴をこう説明する。「賞金を懸けて、プロたちが戦うんですけれども、その舞台をつくることによって収益を上げて、余った利益を全てチャリティーしていこうというのが趣旨」。

 つまり、チャリティーで地域にお金が還元されるため、ボランティアやスポンサーを積極的にトーナメントに関わらせる要因になっているのだという。

写真:倉本昌弘Photo:Jamie Squire/gettyimages

 一方、倉本は日本のツアーの厳しい現実をこう指摘する。「日本の土地事情、交通事情を考えると、ギャラリーが入れば利益が出るとは限らない」。たとえギャラリーが増えても、開催費を収入が下回る収支構造は変わらないというのだ。

 倉本は背景として日本特有のゴルフ事情を挙げる。主なものに「ゴルフのトーナメントだけを中継してきたテレビの功罪」を挙げ、もっと幅広い層にゴルフの魅力を伝えるべきだと訴える。

「ゴルフというのは、子どもからお年寄りまで、またプロゴルファーからビギナーまでが一緒にできるスポーツであるということが一般の人たちに分かってもらえると」

「日本では法人メンバーのゴルフ場という、また悪いものができている」。倉本の物言いは厳しい。倉本は「(法人では)ゴルフ場に対する愛着もなかなか生まれてこない」とし、米国のようにボランティアがツアーを支える仕組みができない理由は法人にもあると指摘する。

 トーナメントの在り方に関する倉本の主張は明快だ。「トーナメントは本来、スポンサーが運営するんじゃなくて、われわれの代表が運営しなきゃいけない。スポンサーがメリットを感じるんだったら、お金を出して乗ってくるのが本来の冠なんですよ」。人気低迷が今も続く男子ツアーへの示唆といえるかもしれない。

 倉本は選手会長として、ゴルファーの地位向上も掲げていた。「残念ながら、日本のゴルフ界で総理大臣の晩さん会に呼ばれて、ちゃんとスピーチができて、なおかつブラックタイで行けて、それがサマになっているという選手が何人いるか。米国にはパーマーやニクラスなど、そういう選手がいっぱいいるんですよ」。インタビューから約30年。男子ゴルフに熱狂が戻る日はいつか。

 女子プロも大物が登場している。