【37】1949年
ドッジ・ラインでインフレ収束も
「安定恐慌」が到来
戦後のインフレに苦しんでいた日本は、1949年に一つの大きな転換点を迎える。前年の12月にGHQ(連合国軍総司令部)は、日本の戦後経済を安定させるための政策指針として「安定化9原則」を示した。
そして翌49年2月、この9原則の指導者としてGHQの経済顧問ジョセフ・ドッジが日本に派遣され、彼の名を冠した経済安定計画「ドッジ・ライン」が実施されることとなった。
その内容は、超緊縮財政による均衡予算の実施、厳格な金融政策による通貨供給の制限、1ドル=360円の固定為替レート導入、戦中戦後を通じて行われていた価格統制の廃止などである。
49年11月1日号には「ドッヂラインに期待する」と題した主張記事が掲載されている。サブタイトルには「アジアにおける防共のとりでとしての日本を」とある。
PDFダウンロードページはこちら(有料会員限定)
(中略)
日本経済の自立ということは、民主主義的資本主義経済での自立である。そうした意味での自立のみが、また、共産主義に対抗できるのであり、アジアにおける民主主義の、最後のとりでとして、日本の位地が、単に日本自体のみならず、米国にもないしはもっと広く界の民主主義陣営にもその一翼として役立つことになるのである』
日本経済の基盤を強化し、インフレを抑え、持続可能な成長を実現するための土台を築くことは、日本を対共産圏に対する東アジアの“とりで”としたい米国にとっても重要事項であり、「ダイヤモンド」もその方針に全面的に賛意を示している。
ドッジ・ラインはインフレの抑制、通貨の安定、財政規律の確立の点で、日本経済の安定と再建において大きく貢献した。固定為替レートによって日本が国際市場に復帰する契機にもなった。
一方で、副作用のある“劇薬”でもあった。その実施過程では財政引き締めと政府支出の削減によりデフレが進行。一時的に失業者の増加や企業の倒産を引き起こし、生産や消費が低迷するという「安定恐慌(ドッジ不況)」も引き起こしたのである。