【35】1947年
新憲法に平和を誓う
米ソの冷戦構造も確立

 1947年5月3日、日本国憲法が施行された。5月1日号では表紙に日の丸をあしらい、憲法の前文がまるまる転載されている。そして、続けて以下のようにつづられている。

1947年5月1日号「憲法の前文」1947年5月1日号「憲法の前文」
PDFダウンロードページはこちら(有料会員限定)
『改正憲法の最大の特色は、大胆卒直に戦争の放棄を宣言したことである。これこそ幾百の人命を犠牲とした大戦争を経験して、万人の均しく翹望(ぎょうぼう)するところであり、同時に世界平和への大道でもある。われわれは今、全世界にこの理想の大旗を掲げたのである。
 しかしながら、憲法が如何に完全なる内容と、雄渾なる文字を以て綴られていようとも、所詮それは作文に過ぎない。われわれ国民が憲法の指向する方向を理解し、その精神を体得しなければ、日本の再生は望めないのである。前文末尾にある如く「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力を挙げて、この崇高な理想と目的を達成することを誓」わねばならぬ』

 新たな時代の幕開けと、日本の輝かしい未来を信じる希望にあふれた文章である。

 一方47年は、米国とソ連の「冷戦」開始を象徴する年となった。この年、米ハリー・トルーマン大統領が共産主義の拡大を防ぐための政策「トルーマン・ドクトリン」を打ち出した。また、米ジョージ・マーシャル国務長官は、戦後のヨーロッパ経済の復興を支援する計画「マーシャル・プラン」を発表。ソ連の影響力拡大を抑止するために、米国が積極的に介入する方針を示した。

 かたやソ連では共産党・労働者党情報局(コミンフォルム)が設立され、東欧諸国の共産党を統制し、共産主義の影響力を強化していった。東西両陣営の対立構造が明確となり、冷戦の基本的な枠組みが形成されたのである。以降、数十年間にわたって世界情勢に大きな影響を与え続けることになる。

 また戦後、米国は日本を占領し、経済復興と民主化、非軍事化を進めてきたが、冷戦の進行とともに、日本を東アジアにおける共産主義の拡大に対抗する“防波堤”として利用する方針に切り替えていった。