深澤 献

ダイヤモンド編集部論説委員

ふかさわ・けん/広島県出身。1989年ダイヤモンド社入社。「週刊ダイヤモンド」でソフトウェア、流通・小売り、通信・IT業界などの 担当記者を経て、2002年10月より副編集長。16年4月よりダイヤモンド・オンライン(DOL)編集長。17年4月よりDOL編集長との兼任で週刊ダイヤモンド編集長。19年4月よりデジタルメディア開発部長兼ダイヤモンド論説委員。2022年2月~24年2月まで株式会社TBMに転じた後、24年4月より週刊ダイヤモンド事業室編集委員。著書に「そごう 壊れた百貨店」「沸騰する中国」(いずれもダイヤモンド社刊・共著)など。趣味はマラソン。

第72回
IHI、NTTの改革を導いた「ドクター合理化」真藤恒の“素性”
ダイヤモンド編集部,深澤 献
「週刊ダイヤモンド」1987年7月4日号に掲載された真藤恒(1910年7月2日~2003年1月26日)のインタビューである。真藤は、石川島播磨重工業(現IHI)の社長、旧日本電信電話公社(電電公社)の最期の総裁、日本電信電話(NTT)の初代社長・会長を務め、両社の企業変革を推し進めたことで知られる。現場と密着して粘り強く改良を重ねていく企業変革の手法で、「ドクター合理化」と呼ばれた。
IHI、NTTの改革を導いた「ドクター合理化」真藤恒の“素性”
第44回
理想の学校づくりを目指し、中2で起業、母校を買収…全ての原体験は幼稚園/仁禮彩香・TimeLeap代表
ダイヤモンド編集部,深澤 献
社会を変えたいという熱い思いを胸に、強い意志と行動力で挑戦し続ける若者たちは、どのように育ってきたのか。今回は小中高生の「自らの人生を切り開く力」を育む教育プログラムを開発・運営するTimeLeapの仁禮彩香さん。起業したのは中2のとき。自立と自由を尊重する精神は幼稚園時代に培われたものでした。
理想の学校づくりを目指し、中2で起業、母校を買収…全ての原体験は幼稚園/仁禮彩香・TimeLeap代表
第71回
総会屋事件で命を絶った第一勧銀・宮崎邦次が振り返った「バブルの教訓」
ダイヤモンド編集部,深澤 献
1991年、バブルがはじけた経済下で始まったとインタビュー連載「バブルの教訓・ニッポンの再出発」の第2回に登場したのは、第一勧業銀行(現みずほ銀行)の頭取、宮崎邦次(30年1月15日~97年6月29日)だった。
総会屋事件で命を絶った第一勧銀・宮崎邦次が振り返った「バブルの教訓」
第70回
日産コンツェルン創始者・鮎川義介が戦後、中小企業振興に乗り出した理由
ダイヤモンド編集部,深澤 献
「ダイヤモンド」1956年6月23日号に掲載された鮎川義介(1880年11月6日〜1967年2月13日)のインタビューである。第二次世界大戦前に、日立製作所、日産自動車、日本鉱業(現ENEOSグループ)、日立造船、日本水産など141社、12万人の従業員を雇用する日産コンツェルンを一代で築き上げた起業家だ。
日産コンツェルン創始者・鮎川義介が戦後、中小企業振興に乗り出した理由
第43回
好きなことを仕事に!大学在学中にハマったコーヒーの“沼”/川野優馬・ライトアップコーヒーWORC代表
ダイヤモンド編集部,深澤 献
リスクを取ってでも人と違う道を行く――。イノベーターとして活躍する若きリーダーたちは、どう育ってきたのか。今回は、大学在学中にコーヒーの魅力に取り付かれ、コーヒー店の経営者兼バリスタとして、産地や作り手によって異なる素材の味を楽しむ新しいコーヒー文化を伝える活動のほか、オフィス向けのコーヒーサービス「WORC」を展開する川野優馬さんです。
好きなことを仕事に!大学在学中にハマったコーヒーの“沼”/川野優馬・ライトアップコーヒーWORC代表
第68回
渋沢栄一に関する「忘れられぬ話」、秩父セメント創業者・諸井恒平の回想
ダイヤモンド編集部,深澤 献
「近代日本資本主義の父」と呼ばれる渋沢栄一。91年の生涯で、500社以上の企業設立に関与し、600以上の福祉や教育などの社会事業に携わった。今回紹介する諸井恒平(1862年6月23日~1941年2月14日)も、渋沢に縁の深い経営者の一人だ。
渋沢栄一に関する「忘れられぬ話」、秩父セメント創業者・諸井恒平の回想
第42回
スパイになる夢破れ過労死寸前の“走馬灯”に浮かんだ「遊びビジネス」/佐藤タイチ・プレイライフCEOファウンダー
ダイヤモンド編集部,深澤 献
人とは違う新しいことに挑戦する若者たち。その行動力はどのような環境で育まれてきたのか。今回は、ユーザーが自身の“遊び体験”を投稿し共有するメディア「PLAYLIFE」を運営する佐藤タイチさん。スパイと音楽家になるという夢から、“本当にやりたいこと”にたどり着くまで、波乱に富んだエピソードが満載でした。
スパイになる夢破れ過労死寸前の“走馬灯”に浮かんだ「遊びビジネス」/佐藤タイチ・プレイライフCEOファウンダー
第67回
豊田喜一郎が創業翌年に語った自動車造りの難しさ、「織機とは精度がケタ違い」
ダイヤモンド編集部,深澤 献
今回は、いつもとは趣向を変えて、インタビュー記事ではなく、創業間もないトヨタ自動車の取材記事をお届けする。豊田佐吉が創業した豊田自動織機の社内に「自動車部」が設けられたのは1933年のこと。35年に自動車製造を開始し、37年にはトヨタ自動車工業として独立した。その翌年に掲載された、ダイヤモンド社創業者、石山賢吉による同社の取材記だ。
豊田喜一郎が創業翌年に語った自動車造りの難しさ、「織機とは精度がケタ違い」
第66回
野村證券・瀬川美能留が掲げた創業者の遺訓とパイオニア精神
ダイヤモンド編集部,深澤 献
野村證券をいわゆる“株屋”から金融機関へと転換させた功労者は、3代目社長の奥村綱雄と、その後を継いだ瀬川美能留の2人といえるだろう。
野村證券・瀬川美能留が掲げた創業者の遺訓とパイオニア精神
第41回
幼なじみの女の子の自殺が心の専門家を身近にするオンライン相談の“原体験”/近藤雄太郎・NOMAL取締役 Reme事業責任者
ダイヤモンド編集部,深澤 献
リスクを恐れず、人とは違う新しいことに挑戦する若者たち。そのモチベーションはどのように育まれてきたのか。今回は、心のケアを必要とする人々向けの、臨床心理士によるオンラインメンタル相談サービス「リミー(Reme)」の事業責任者を務める近藤雄太郎さん。幼なじみで初恋の人でもあった女の子が、中学時代に自殺したことが原体験となっているそうです。
幼なじみの女の子の自殺が心の専門家を身近にするオンライン相談の“原体験”/近藤雄太郎・NOMAL取締役 Reme事業責任者
第65回
戦前のカネボウを育てた“紡績王”、武藤山治の退き際と経営観
ダイヤモンド編集部,深澤 献
武藤の活躍でカネボウの業績は急拡大し、国内の紡績会社を次々に傘下に入れながら、国内トップクラスの規模にまで成長を遂げる。武藤は「職工優遇こそ最善の投資なり」をモットーに「家族主義」と「温情主義」を実践する。こうした経営スタイルは、他企業の手本となり、日本的経営の基礎となった。
戦前のカネボウを育てた“紡績王”、武藤山治の退き際と経営観
第64回
「京都を文化首都に」ワコール社長・塚本幸一の悲願と幻の京都サミット
ダイヤモンド編集部,深澤 献
「週刊ダイヤモンド」1983年6月18日号に掲載されたワコールの創業者、塚本幸一(1920年9月17日~1998年6月10日)のインタビューである。
「京都を文化首都に」ワコール社長・塚本幸一の悲願と幻の京都サミット
第63回
富士通をコンピュータ企業に変えた山本卓眞が予測した「21世紀の情報社会」
ダイヤモンド編集部,深澤 献
1980年代に富士通の社長を務めた山本卓眞(1925年9月11日~2012年1月17日)のインタビューである。山本は電子事業本部長として富士通のコンピュータ事業を率い、通信機メーカーから日本を代表するコンピュータメーカーに導いた人物だ。
富士通をコンピュータ企業に変えた山本卓眞が予測した「21世紀の情報社会」
第40回
「一緒に日本を良くしていこう」官僚のおっちゃんの一言と父の死が今の活動の原点/脇 雅昭・よんなな会主宰
ダイヤモンド編集部,深澤 献
社会を変えたい――そんな情熱や使命感を抱いて活躍する若きリーダーたちは、どんな原体験に支えられ、どう育ってきたのか。今回は、総務省から神奈川県庁に出向して働く傍ら、47都道府県の公務員5000人超を擁するコミュニティー「よんなな会」を主宰し、国、自治体、民間の枠を超えた“志をつなぐ場”づくりに取り組む脇雅昭さんです。
「一緒に日本を良くしていこう」官僚のおっちゃんの一言と父の死が今の活動の原点/脇 雅昭・よんなな会主宰
第62回
佐吉翁の大番頭、石田退三・トヨタ会長が語った「数よりもうけ」の経営哲学
ダイヤモンド編集部,深澤 献
今回は「週刊ダイヤモンド」1967年6月5日号に掲載された、トヨタ自動車工業(元トヨタ自動車)会長の石田退三(1888年11月16日~1979年9月18日)のインタビューである。「トヨタ中興の祖」と呼ばれる“大番頭”の言葉は力強かった。
佐吉翁の大番頭、石田退三・トヨタ会長が語った「数よりもうけ」の経営哲学
第61回
ディズニーランドを浦安に“創設”した高橋政知、開業2年後の証言
ダイヤモンド編集部,深澤 献
東京ディズニーランド(TDL)のエントランスを抜けてすぐ、レストランやショップが並ぶワールドバザールにある「タウンセンターファッション」のショーウインドーの一角に、「FOUNDER」(創設者)の文字と共に「MASATOMO TAKAHASHI」の名前が刻まれた絵が飾ってある。1983年4月のTDL開業時に、運営会社であるオリエンタルランドの社長だった高橋政知(1913年9月4日~2000年1月31日)のことだ。
ディズニーランドを浦安に“創設”した高橋政知、開業2年後の証言
人と違うと思われたくない。大好きな「昆虫食」を隠し続けた中高時代/篠原祐太(地球少年)
ダイヤモンド編集部,深澤 献
周りとは違うことに取り組み、新しい価値観を生み出す。そんな若者たちの挑戦心は、いかにして育まれたのか。今回は、地球上の万物を愛する「地球少年」を名乗り、昆虫食の魅力を発信する篠原祐太さん。幼少時から虫を食べるのが好きだったのに、大学に入るまではそれを誰にも言えずに苦しんでいたそうです。
人と違うと思われたくない。大好きな「昆虫食」を隠し続けた中高時代/篠原祐太(地球少年)
第60回
製紙王・藤原銀次郎が大正末期に憂えた「日本ものづくりの粗悪ぶり」
ダイヤモンド編集部,深澤 献
三井銀行から富岡製糸場支配人に転じた後、王子製紙の初代社長を務め「日本の製紙王」と呼ばれる藤原銀次郎(1869年7月25日~1960年3月17日)。1926年6月1日号の「ダイヤモンド」に藤原のインタビュー記事が掲載されている。26年というのは大正15年に当たり、この年の12月に元号が昭和に切り替わる。大正最後の年である。
製紙王・藤原銀次郎が大正末期に憂えた「日本ものづくりの粗悪ぶり」
第38回
海外に目を向け自分が失敗したことも含めて弟には経験してもらいたい/大久保夏斗(合同会社HAYAMI代表社員)・大久保迅太(業務執行社員)
ダイヤモンド編集部,深澤 献
人とは違う新しいことに挑戦する若者たち。そのモチベーションはどのような原体験に支えられ、どんな環境の下で育まれてきたのか。今回は、環境に優しい草ストローの普及に取り組むHAYAMIの大久保迅太さんと夏斗さんの兄弟です。常に兄が弟の先を進み、身をもって学んだことを伝えていく。そんな良い関係が構築されています。
海外に目を向け自分が失敗したことも含めて弟には経験してもらいたい/大久保夏斗(合同会社HAYAMI代表社員)・大久保迅太(業務執行社員)
第58回
稲盛和夫が80年代半ばに期待した、日本の「革命的な繁栄」と「懸念」
ダイヤモンド編集部,深澤 献
京セラの創業者である稲盛和夫(1932年1月21日~)は、1984年、電電公社(現NTT)が独占する通信業界に風穴を開けるべく第二電電(DDI)を設立した。現在のKDDIである。「週刊ダイヤモンド」1985年1月12日号に掲載されたインタビューで稲盛は、通信業への進出を決断した理由として、世界的に競争力を発揮している日本のエレクトロニクス産業と、情報通信がドッキングすることによって、イノベーションが起こり、社会構造が変わるとの読みを披露している。
稲盛和夫が80年代半ばに期待した、日本の「革命的な繁栄」と「懸念」
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