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深澤 献

ダイヤモンド編集部論説委員

ふかさわ・けん/広島県出身。1989年ダイヤモンド社入社。「週刊ダイヤモンド」でソフトウェア、流通・小売り、通信・IT業界などの 担当記者を経て、2002年10月より副編集長。16年4月よりダイヤモンド・オンライン(DOL)編集長。17年4月よりDOL編集長との兼任で週刊ダイヤモンド編集長。19年4月よりデジタルメディア開発部長兼ダイヤモンド論説委員。2022年2月~24年2月まで株式会社TBMに転じた後、24年4月より週刊ダイヤモンド事業室編集委員。著書に『ヤマ師 裸一貫から一代でトヨタ・松下・日立を超える高収益企業を作った破格の傑物「山下太郎」のすべて』、共著に『そごう 壊れた百貨店』『沸騰する中国』(いずれもダイヤモンド社刊)など。

後藤新平、都市計画の第一人者が訴えた「日露親交」と人口問題解決策
ダイヤモンド編集部,深澤 献
スケールの大きな構想を次々と打ち出して「大風呂敷」とあだ名された政治家、後藤新平(1857年7月24日~1929年4月13日)。南満州鉄道(満鉄)の初代総裁や東京市長も務め、関東大震災の際には内務大臣兼帝都復興院総裁として東京の復興でも活躍した。明治から昭和の日本を支えた都市計画の第一人者である。
後藤新平、都市計画の第一人者が訴えた「日露親交」と人口問題解決策
第55回
「すべての子に学びを!」多様な階層を渡り歩いてたどり着いた強い思い/李 炯植・特定非営利活動法人Learning for All代表理事
ダイヤモンド編集部,深澤 献
社会課題に果敢に向き合う若きリーダーたち。その情熱と使命感は、どのように育まれてきたのか。今回は、子供の貧困や教育格差の解決に向け、「すべての子に学びを」と訴えて学習支援と居場所支援を展開するNPO法人Learning for Allの李炯植(りひょんしぎ)代表理事。多様な経験を積むに至った転機は、小学校時代の恩師の言葉にありました。
「すべての子に学びを!」多様な階層を渡り歩いてたどり着いた強い思い/李 炯植・特定非営利活動法人Learning for All代表理事
第94回
韓国サムスン創業者・李秉喆「日本企業と組む理由、理想の経済協力体制」
ダイヤモンド編集部,深澤 献
韓国最大の財閥サムスングループは、李秉喆(イ・ビョンチョル、1910年2月12日~87年11月19日)が、38年に韓国・大邱で創業した三星商会(現サムスン物産)に端を発する。李は日本統治時代に早稲田大学政治経済学部で学んだ経験があり、日本とのつながりは深い。
韓国サムスン創業者・李秉喆「日本企業と組む理由、理想の経済協力体制」
第93回
カシオ計算機・樫尾忠雄が振り返る創業期と「安さも技術力」
ダイヤモンド編集部,深澤 献
終戦直後の1946年、旋盤工として働きながら早稲田工手学校(現早稲田大学)で技術を学んだ樫尾忠雄(1917年11月26日~1993年3月4日)は、東京都三鷹市で顕微鏡の部品や歯車などを作る樫尾製作所を創業した。
カシオ計算機・樫尾忠雄が振り返る創業期と「安さも技術力」
第54回
周りと違う道を行く――希少性こそが生存戦略と僕が信じる理由/小沼大地・NPO法人クロスフィールズ代表理事
ダイヤモンド編集部,深澤 献
険しくとも周りとは違う道を進む。そんな若きリーダーたちの挑戦心は、どんな原体験に支えられているのか。今回は、民間企業の社員に対し、新興国で社会課題の解決に取り組む体験プログラム「留職」を提案・提供するNPO法人クロスフィールズの代表理事、小沼大地さん。20代で創業するまでに歩んできた道は独自性に富んだものでした。
周りと違う道を行く――希少性こそが生存戦略と僕が信じる理由/小沼大地・NPO法人クロスフィールズ代表理事
宅急便の生みの親、小倉昌男が振り返った経営、競争、障害者福祉
ダイヤモンド編集部,深澤 献
小倉昌男は、東京大学経済学部を卒業後、終戦から間もない48年にヤマト運輸に入社した。71年、父・康臣の後を継いで社長に就任。家業の延長で経営概念のまったくなかった運送業に、市場原理に基づいた経営手法を導入していく。そんな小倉が新事業として始めたのが小口貨物の特急宅配サービス「宅急便」だった。
宅急便の生みの親、小倉昌男が振り返った経営、競争、障害者福祉
出光佐三、石油メジャーにケンカを売った男が貫いた「人間尊重」経営(下)
ダイヤモンド編集部,深澤 献
第二次世界大戦が終わり、戦地から1000人もの社員が復員してきたときに、常々「出光興産は人間が資本だ」と言っていた出光は、「資本は帰ってきたのだ」と考えた。当時は出光自身、無一文どころか借金を背負っている身で、しかも戦前同様に石油業を続けれる保証はなかったが、1人もクビを切らないことを誓い、ラジオの修繕業から再スタートした。
出光佐三、石油メジャーにケンカを売った男が貫いた「人間尊重」経営(下)
第53回
農業はもうからない?安定志向から一転、起業の道に進んだ理由/秋元里奈・ビビッドガーデン社長
ダイヤモンド編集部,深澤 献
自らの力で社会を変えたい――そんな情熱や使命感を抱いて挑戦する若きリーダーたちは、どのように育ってきたのか。今回は、農産物のオンライン直売所「食べチョク」を運営するビビッドガーデンの創業者、秋元里奈さん。代々、農業を営む家庭に生まれ育ったというアイデンティティーが起業に結び付くまでには紆余曲折がありました。
農業はもうからない?安定志向から一転、起業の道に進んだ理由/秋元里奈・ビビッドガーデン社長
出光佐三、石油メジャーにケンカを売った男が貫いた「人間尊重」経営(上)
ダイヤモンド編集部,深澤 献
出光興産の創業者、出光佐三(1885年8月22日~1981年3月7日)による手記である。出光は『わが四十五年間』という自伝を1956年に著しているが、その2年前に当たる「ダイヤモンド」54年12月3日号に「理想の実現が私の仕事だ――首尾一貫の40年」と題して掲載されたものだ。
出光佐三、石油メジャーにケンカを売った男が貫いた「人間尊重」経営(上)
日銀総裁も務めた三菱銀行・宇佐美洵頭取が60年代に語った「三菱の強さ」
ダイヤモンド編集部,深澤 献
2020年12月、三菱UFJフィナンシャル・グループ傘下の三菱UFJ銀行の次期頭取に、同行常務の半沢淳一氏が昇格することが発表された(21年4月就任予定)。この人事が話題を呼んだのは、新頭取の名字が人気小説『半沢直樹』の主人公と同じなのもさることながら、副頭取と専務を抜いて常務から頭取に就任するのは同行では初めてだったからだ。「組織の三菱」といわれ、万事、組織的に動くのが三菱系企業の特徴であり、特に銀行のトップ人事に関しては、意表を突くような人選は過去にさかのぼっても珍しい。今回紹介するのは、「ダイヤモンド」1964年5月18日号に掲載された、三菱銀行(現三菱UFJ銀行)の頭取、宇佐美洵(1901年2月5日~1983年2月19日)のインタビュー。この宇佐美はまさに頭取になるべくしてなった人物だった。
日銀総裁も務めた三菱銀行・宇佐美洵頭取が60年代に語った「三菱の強さ」
第52回
異文化衝突に悩み続けたチェコと日本のハーフが目指す多文化共生社会の実現/岩澤直美・Culmony代表
ダイヤモンド編集部,深澤 献
社会を変えたいという強い意志と行動力を持つ若者たちは、どのように育ってきたのか。今回は日本とチェコにルーツを持つ岩澤直美さん。日本、ハンガリー、ドイツで育ち、“ハーフ”として経験してきた文化的な衝突を基に、高3で異文化理解教育に取り組むCulmony(カルモニー)を設立。多文化共生社会の実現を目指しています。
異文化衝突に悩み続けたチェコと日本のハーフが目指す多文化共生社会の実現/岩澤直美・Culmony代表
帝国ホテル・犬丸徹三が64年の東京五輪に懸けた夢と、大掛かりな“準備”
ダイヤモンド編集部,深澤 献
1964年10月に開かれた東京オリンピックで、選手や外国人客の宿泊、食事、接待といった“おもてなし”で采配を振るったのは、当時の帝国ホテル社長、犬丸徹三(1887年6月8日~1981年4月9日)だった。「ダイヤモンド」64年5月18日号では、開催を5カ月後に控え、犬丸がオリンピックへの準備の状況と、その後の日本に馳せる思いを語っている。
帝国ホテル・犬丸徹三が64年の東京五輪に懸けた夢と、大掛かりな“準備”
東映を創った大川博、鉄道官僚から映画業界へ「3つの転機」(後編)
ダイヤモンド編集部,深澤 献
東映の実質的な創業者である大川博(1896年12月30日~1971年8月17日)。そもそも大川は、鉄道高等官(今で言うキャリア官僚)の制服に憧れ、岩倉鉄道学校(現岩倉高等学校)を卒業し、中央大学法学部を経て鉄道省に入省した、バリバリの鉄道官僚だった。
東映を創った大川博、鉄道官僚から映画業界へ「3つの転機」(後編)
第51回
夢はピアニストの少年が東大→瀧本ゼミを経て音楽事業で起業するまで/宍戸光達・フォニム代表取締役
ダイヤモンド編集部,深澤 献
リスクを取ってでも人と違う道に挑む。そんな若きイノベーターたちは、どんな環境で育ってきたのか。今回は、一流講師からオンラインでレッスンを受けられる音楽教室「フォニム」を運営する宍戸光達さん。高校に入学するまではピアニストを目指していたそうです。その挑戦心はどう養われ、変化してきたのでしょうか。
夢はピアニストの少年が東大→瀧本ゼミを経て音楽事業で起業するまで/宍戸光達・フォニム代表取締役
東映を創った大川博、鉄道官僚から映画業界へ「3つの転機」(前編)
ダイヤモンド編集部,深澤 献
東映の実質的な創業者である大川博(1896年12月30日~1971年8月17日)。そもそも大川は、鉄道高等官(今で言うキャリア官僚)の制服に憧れ、岩倉鉄道学校(現岩倉高等学校)を卒業し、中央大学法学部を経て鉄道省に入省した、バリバリの鉄道官僚だった。
東映を創った大川博、鉄道官僚から映画業界へ「3つの転機」(前編)
日立・駒井健一郎会長が高度成長期の終わりに語った「ケチケチ経営」の真髄
ダイヤモンド編集部,深澤 献
第2次世界大戦後の焼け野原から日本を世界第2位の経済大国にまで押し上げた高度成長期は、1970年代に入って曲がり角を迎えた。71年のドルショックによって金・ドル交換停止と日本に対する輸入課徴金の導入、円切り上げ・完全変動相場制への移行が進み、73年と79年の石油危機によって高度成長の前提条件だった原燃料の大量安価使用というモデルが崩壊する。公害問題の高まりで企業の社会的責任が問われるようにもなった。
日立・駒井健一郎会長が高度成長期の終わりに語った「ケチケチ経営」の真髄
日米開戦を後押しした鈴木貞一、「背広を着た軍人」が語った“必敗の経緯”
ダイヤモンド編集部,深澤 献
鈴木貞一(1888年12月16日~1989年7月15日)は、第二次世界大戦における日米開戦に深く関与した人物の一人だ。陸軍中将だが純然たる軍事畑の職歴は少なく「背広を着た軍人」の異名を持つ鈴木は、1941年4月、第2次近衛文麿内閣で企画院総裁に就任する。企画院というのは、戦争遂行上の物資動員計画を立てる役割を担う機関である。鈴木は、開戦直前の御前会議において、日本の経済力、軍事力に関する分析結果を上程し、天皇に対米開戦を進言した。
日米開戦を後押しした鈴木貞一、「背広を着た軍人」が語った“必敗の経緯”
第50回
父の失読症が教えてくれた自らの課題に寄り添う作り手としての生き方/島影圭佑・オトングラス代表
ダイヤモンド編集部,深澤 献
自分にしかできないことを見つけ、情熱を注ぐ若きリーダーたちは、どんな原体験に支えられているのか。今回は、父親の失読症をきっかけに、文字を代わりに読み上げる眼鏡「オトングラス」を開発した島影圭佑さん。自らが抱える課題に、自らが“作ること”で寄り添う「当事者兼作り手」を生み出す活動にも取り組んでいます。
父の失読症が教えてくれた自らの課題に寄り添う作り手としての生き方/島影圭佑・オトングラス代表
NEC関本忠弘の主張、「独創性」伸ばしたいなら素質の早期峻別と英才教育を!
ダイヤモンド編集部,深澤 献
関本忠弘(1926年11月14日~2007年11月11日)は1980年からNEC社長を14年務めた。NECは長く、日本電信電話公社(現NTT)に依存する電話交換機メーカーとして、“電電ファミリー”の一角を占める企業だったが、関本は前社長の小林宏治が提唱する「C&C」(Computer & Communication)路線を継承し、コンピュータ、半導体、通信機などの総合電機メーカーの世界的企業に飛躍させた。
NEC関本忠弘の主張、「独創性」伸ばしたいなら素質の早期峻別と英才教育を!
石坂泰三と伊藤忠兵衛が語り合う、戦後5年目の日本、東芝、産業界の行方
ダイヤモンド編集部,深澤 献
伊藤忠商事と丸紅という二つの総合商社の基となる呉服商「紅忠」を創業した初代伊藤忠兵衛の次男、2代目伊藤忠兵衛は、1951年1月から9月にかけて、毎号財界の重鎮を招く対談連載を「ダイヤモンド」誌に持っていた。1951年4月11日号で対談相手に招かれたのは、第一生命社長から東芝の社長に転じたばかりの石坂泰三である。
石坂泰三と伊藤忠兵衛が語り合う、戦後5年目の日本、東芝、産業界の行方
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