『安倍晋三 回顧録』の財務省批判に対し、元大蔵事務次官・齋藤次郎氏が「荒唐無稽な陰謀論」「財政規律が崩壊すれば、国は本当に崩壊してしまいます」などと反論(『文藝春秋五月号』)して、話題となっている。しかし、齋藤氏の反論は妥当なのだろうか? 資本主義における財政の仕組みを根本から解説した新刊『どうする財源ー貨幣論で読み解く税と財政の仕組み』がベストラーとなっている評論家・中野剛志氏に検証してもらった。

財務省がここまで嫌われる「根本的な理由」とは?「文藝春秋」五月特別号に掲載された齋藤次郎・元大蔵事務次官の記事

「財務省の最も重要な仕事」とは何か?

 安倍晋三・元首相は『安倍晋三 回顧録』(中央公論新社)の中で、財務省について「国が滅びても、財政規律が保たれてさえいれば、満足なんです」「省益のためなら政権を倒すことも辞さない」などと批判した。

 これに対して、元大蔵事務次官の齋藤次郎氏は「荒唐無稽な陰謀論」と嘆き、次のように反論している(『文藝春秋五月号』)。

 財務省の最も重要な仕事は、国家の経済が破綻しないよう、財政規律を維持することです。『回顧録』のなかで安倍さんは、財務省のことを<国が滅びても、財政規律が保たれてさえいれば、満足なんです>とおっしゃっていますが、財政規律が崩壊すれば、国は本当に崩壊してしまいます。大幅な赤字財政が続いている日本では、財政健全化のために増税は避けられず、そのため財務省はことあるごとに政治に対して増税を求めてきました。
 それは国家の将来を思えばこその行動です。税収を増やしても、歳出をカットしても、財務省は何一つ得をしない。むしろ増税を強く訴えれば国民に叩かれるわけですから、”省損”になることのほうが多い。国のために一生懸命働いているのに、それを「省益」と一言でバッサリ言われてしまっては……現場の官僚たちはさぞ心外だろうと思います。

 財務官僚が「省益」ではなく「国のために一生懸命働いている」のは事実だと思う。

 だが、問題の本質は「国のために一生懸命働いている」かどうかではない。「財務省の最も重要な仕事は、国家の経済が破綻しないよう、財政規律を維持すること」だという齋藤氏(と財務省)の認識が、根本的に間違っていることにあるのだ。

財政の「赤字/黒字」は、財政運営の基準にならない

 簡単に説明しよう。
 そもそも、変動為替相場制の下において、自国通貨を発行する政府は、その自国通貨建て国債に関して、債務不履行(デフォルト)になることはあり得ない。日本政府は、これに該当するので、財政破綻はしない(過去にデフォルトに陥った政府は、いずれも、これに該当していない)。

 だとするならば、収支均衡を目指す健全財政(財政規律)は、無意味となる。
 その代わりに、国家財政は、財政支出、徴税、国債発行の有無や規模については、それらが、国家の経済に与える影響を基準にして運営されるものとなる。これを「機能的財政」と言う。

「機能的財政」論によれば、財政赤字が国家の経済に良い影響を与えるならば、その財政赤字がどれだけ巨額になろうとも、それは「良いこと」である。

 逆に、財政支出の削減や増税が不況を引き起こすなど、国家の経済に悪影響を及ぼすならば、たとえ財政が健全化したとしても、それは「悪いこと」だ。

 要するに、財政が赤字か黒字かは、財政運営の良し悪しの基準にはならないのだ。

 例えば、2020年からのコロナ禍では、国民を守るために、巨額の財政赤字が計上された。これは「健全財政」論では「悪いこと」、あるいはせいぜい「やむを得ない」こととなろう。しかし、「機能的財政」論であれば、圧倒的に「良いこと」なのだ。

 あるいは、日本は1998年から20年以上にわたってデフレで経済が停滞した。この間、財政支出を拡大して需要を増やし、デフレを脱却することは「機能的財政」論であれば「良いこと」である。
 ところが、実際には、財政健全化を目指して歳出抑制や消費増税を行ない、デフレ不況を長引かせた。これは「悪いこと」である。

「本質」を論じない元大蔵財務次官

 近年、積極財政を唱える政治家の多くは、この「機能的財政」論を理解しつつあるようだ。

 そういう理論武装された政治家に対して、財政規律を説くならば、

(1)日本政府が、変動相場制の下で、円建て国債のデフォルトに陥る可能性
(2)財政支出の拡大が、国家の経済を悪化させる可能性

 について、理論的な説明をする必要がある。
 そうでなければ、彼らは納得しないだろう。

 ところが、齋藤氏は、(1)(2)について理論的な説明をせず、「財源を気にせず、お金をじゃぶじゃぶと使い続けたら行きつく先は国家の破綻しかありません」と言い張るのみである。

 ならば、齋藤氏の言う「国家の破綻」とは、どういう状態を指すのか。
 それは、国債の格下げによる国債と通貨の暴落のようである。

 安倍首相による増税延期発表後の2014年12月、ムーディーズ社など外国格付け会社が日本国債の格付けを一段階引き下げた。齋藤氏は、この件を引きつつ、「国債の格下げは一種のマグマのようなもので、暴落したら後の祭りです」と述べる。

 しかし、この2014年12月の格下げによって、日本国債が暴落し、金利が急騰することはなかった。その後も日本の「政府債務/GDP」は拡大し続け、日本国債の格付けも引き下げられ続けてきた。にもかかわらず、この間、金利は世界最低水準で推移してきた。さらに、コロナ禍によって大幅な財政赤字となったが、それでも金利の急騰はなかった。

 このように、齋藤氏の主張は、事実によって裏切られている。日本国債の価格は、格付けの影響をほとんど受けないのだ。それも当然であろう、日本国債は、日本銀行が必要なだけ購入できるのだから。

 ちなみに、2002年にも、外国格付け会社が日本国債の格付けを引き下げたことがあった。この時、財務省は、外国格付け会社に対して反論する公開質問状を発した。そこには、こう書いてある。

「日・米など先進国の自国通貨建て国債のデフォルトは考えられない。デフォルトとして如何なる事態を想定しているのか。」

 つまり、日本国債のデフォルトはないと、財務省自身も認めているのだ。

あまりにも残念な財務省の「時代錯誤」

 それにもかかわらず、どうして財務省は、財政規律を頑迷に唱え続けてきたのであろうか。
 齋藤氏は、次のように証言している。

 入省して(筆者注:1959年)、徹底的に教え込まれたのは、財政規律の重要性でした。「財政の黒字化は当たり前のことでなければならない」、「赤字国債は絶対に出すな」……毎日のように先輩から言い聞かされました。
(中略)
 私も予算査定の際には、主計局の上司や同僚にしょっちゅう議論を吹っ掛けられていました。そうやって厳しく教育されながら、大蔵官僚たちは「財政規律の大原則」を脈々と受け継いできたわけです。

 確かに、1960年代までの日本においては、財政規律は重要であった。
 それには、理由がある。

 第一に、当時は、固定為替相場制であったから、輸入超過で外貨不足になるのを避けるため、財政支出を抑制する必要があった。

 第二に、高度成長により民間の需要が旺盛であったから、積極財政が需要超過によるインフレを招くおそれがあった。

 これに対して、今日の日本は、変動為替相場制の下にあり、かつ民間需要が慢性的に不足する長期停滞にある。1960年代とはまるで状況が違うのだ。

 にもかかわらず、大蔵省(財務省)は、状況の変化と無関係に、「『財政規律の大原則』を脈々と受け継いできた」のだという。

 しかし、「財政の黒字化は当たり前のことでなければならない」などというのは、国家財政の論理と家計の論理を混同した、マクロ経済学の最も初歩的な誤りに過ぎない。
 そんな初歩的な誤りを「入省して徹底的に教え込まれ」、「毎日のように先輩から言い聞かされ」て、それを未だに信じて疑わないというのだから、これは国家的不幸としか言いようがない。

財務省が嫌われる理由とは?

「機能的財政」論が説くように、国家財政は、経済の状況に応じて運営されるべきものである。財政規律(健全財政)は、状況の如何を問わない普遍的な「大原則」などではないのだ。

 要するに、齋藤氏とその後輩の財務官僚たちは、財政規律の「原理主義」に陥っているのである。これでは、安倍・元首相に「国が滅びても、財政規律が保たれてさえいれば、満足なんです」と言われても仕方あるまい。

『安倍晋三 回顧録』を読んだ齋藤氏は、財務省が「正直、ここまで嫌われていたとは思っていなかった」と驚き、嘆いている。しかし、ここまで嫌われた原因の一端は、財務省の原理主義的な姿勢にあるのではないだろうか

 インタビュー記事の最後で、齋藤氏は「これからは官僚も国民に対し、発信力を高めていくことが必要です。国民の理解無しでは何事も成し得ません」と提言している。

 しかし、今日、齋藤氏の議論の誤りを簡単に見抜けるほどに理論武装された国民が、次第に増えつつある。

 そういう国民を侮って、「財政規律の大原則」などを発信したら、財務省に対する不信は、かえって広がることになるだろう。
 今は、そういう時代である。

 なお、財政政策の理論武装に関しては、『どうする財源-貨幣論で読み解く税と財政の仕組み』(祥伝社新書)も参考にされたい。

中野剛志(なかの・たけし)
1971年神奈川県生まれ。評論家。専門は政治経済思想。1996年、東京大学教養学部(国際関係論)卒業後、通商産業省(現・経済産業省)に入省。2000年よりエディンバラ大学大学院に留学し、政治思想を専攻。2001年に同大学院より優等修士号、2005年に博士号を取得。2003年、論文“Theorising Economic Nationalism”(Nations and Nationalism)でNations and Nationalism Prizeを受賞。主な著書に山本七平賞奨励賞を受賞した『日本思想史新論』(ちくま新書)、『TPP亡国論』『世界を戦争に導くグローバリズム』(集英社新書)、『富国と強兵』(東洋経済新報社)、『国力とは何か』(講談社現代新書)、『保守とは何だろうか』(NHK出版新書)、『官僚の反逆』(幻冬社新書)、『目からウロコが落ちる奇跡の経済教室【基礎知識編】』(KKベストセラーズ)、『変異する資本主義』(ダイヤモンド社)、『奇跡の社会科学』(PHP新書』、『世界インフレと戦争』(幻冬舎新書)、『どうする財源ー貨幣論で読み解く税と財政の仕組み』(祥伝社新書)など。