山本洋子
米の全てが、自家栽培を含め無農薬米のみの寺田本家。350年以上続く老舗蔵だ。24代目の寺田優(まさる)さんが杜氏を担い、蔵付きの菌で原点回帰の自然酒を醸す。

今でこそ日本酒の生原酒は珍しくないが、冷蔵物流や店に冷蔵庫がなかった半世紀前は皆無だった。1972年11月に、鮮度を保持したうま味ある生原酒缶を、日本で初めて商品化したのは新潟県の菊水酒造だ。実は大水害の艱難辛苦を経て生まれた。

米の酒で起業する若者が増え、どぶろくを含む「その他の醸造酒」の免許で、ホップや果実など副原料を加えた斬新な味の酒が業界をにぎわす。今年の1月、全国どぶろく研究大会が北秋田市で開催された。同市はどぶろくの普及に熱心で、第三セクターのマタギの里観光開発が運営する打当温泉マタギの湯には、見学可のどぶろく工房を併設している。

ビール界では自分の醸造所を持たず、他の醸造所を借りて造ることをファントム(幽霊)ブルワリーと呼ぶ。その名を日本酒で名乗るのが立川哲之さんだ。福島第一原子力発電所から17kmの南相馬市小高区で、2022年7月に創業。発酵する泡の様子と福島の「ふく」を掛けて「ぷくぷく醸造」と名付けた。

膨らみある山廃の純米酒がロングセラーを続ける車多酒造。1960年代、7代目の車多壽郎さんが特徴あるうまい酒を目指し、能登の名杜氏・中三郎さんと苦心の末に造り上げた山廃純米酒だ。

年明けの朝、無病長寿を願って飲むお屠蘇は、邪気を屠(ほふ)り、魂を蘇らせるのが名の由来と伝わる。正月に飲む酒なら何でもお屠蘇と思ったら大間違いで、本来のお屠蘇は、本みりんまたは日本酒をブレンドし、生薬配合の屠蘇散を漬け込んだ薬草酒。願いを込めていただく年始の祝い酒だ。

霊峰白山に源流を発する手取川の扇状地で、1870年に創業した吉田酒造店の代表銘柄はズバリ「手取川」だ。7代目の吉田泰之さんは、山形県の出羽桜酒造で修業し実家の蔵へ入った。農業の未来を見据え、地域の未来を酒造りでつなぐ。

安土桃山時代に、ヨーロッパへ遣欧使節を送った仙台伊達家の伝統を受け継ぐように、酒文化を世界へ発信する仙台伊澤家 勝山酒造。現存する唯一の伊達家御用蔵で、62万石の城下町仙台で1688年に創業。12代目の伊澤平藏さんが陣頭指揮を執る。

全国最大の杜氏集団である南部杜氏のルーツといわれる吾妻嶺酒造店は、17世紀に近江商人の初代が旧志和村を訪れ、米が取れ水も良いと酒蔵を創業。上方の当時最先端の酒造技術を使い、南部藩になかった澄み酒を造った。13代目の佐藤元さんが蔵を継いだのは1998年、27歳のとき。

創業1724年の佐浦は、1800年代より陸奥国一之宮鹽竈神社の御神酒酒屋も務め、佐浦弘一さんで13代目という老舗蔵だ。代表銘柄は1973年から支持される「純米吟醸 浦霞禅」。12代目の父茂雄さんは、松島瑞巌寺出身の僧侶から、フランスで禅の関心が高まっていると聞き、禅僧の書と禅画で日本酒を世界へと発想し開発した。

耕作面積の約19%が有機栽培という埼玉県小川町。有機農業の里として知られ、中でも下里地区は、地域ぐるみの取り組みが、2010年の農林水産省主催「豊かなむらづくり全国表彰事業」で最高賞の天皇杯を受賞。そのきっかけをつくった金子さんは、1971年から孤軍奮闘で持続可能な有機農業を実践してきた。

米を削って雑味をなくし、きれいな酒を造る……常識とされる今の日本酒造りを覆し、美しいどぶろくを造る佐々木要太郎さん。米農家で杜氏、「とおの屋 要」の料理人だ。田んぼの特性を見極めて土壌を考え、農薬や肥料は一切不使用。生態系を利用し、周辺環境までも健全な田んぼになるよう改良を繰り返した。

1989年、孝さんが30歳で蔵を継いだとき、酒は特徴がなく、営業力も技術力もなかった。香り華やかな大吟醸がブームだったが「同じことをしても勝ち目はない」と、正反対のうま味主体の熟成酒へと舵を切る。14年間熟成させた酒が濃醇な味に変わり、IWCで高評価を受けたが、売れ行きは伸び悩んだ。

日本最大の杜氏集団である南部杜氏の発祥地、岩手県紫波町。この地で1886年に創業した月の輪酒造店のモットーは「企業としてではなく家業として」、そして「飲み飽きせぬ酒」だ。初代は隣町の矢巾町で麹屋を営んでいたが、酒を造りたいと一念発起。良い水を求めて紫波町で酒造を始めた。

関東平野北部の栃木県真岡(もおか)市は、イチゴと米の栽培が盛んな地で、真岡鐵道のSL目当てに鉄道ファンが集う。そのSLの汽笛が聞こえる酒蔵が辻善兵衛商店だ。

大な吾妻連峰の麓、置賜(おきたま)盆地の北端の南陽市はブドウ栽培が盛ん。ワイナリーは6社あるが、日本酒の蔵は東の麓酒造ただ一つだ。

浅草の駒形橋西詰めたもとで、2020年6月に小さなどぶろく醸造所が誕生した。酒造りを見ながら、フレッシュなどぶろくが飲めて買える。代表の細井洋佑さんは、元々ブルワリーパブの経営者。クラフトビール同様に、どぶろくや果実などを加えたクラフトサケの広がりを目指して立ち上げた。

令和に入り、11から16に酒蔵が増えた北海道。その酒造りは明治期の開拓から始まった。寒冷過ぎて稲が育たず、発酵せず、酒造りは困難を極めたが、本州米を使い、れんが造りで防寒し、道産の石炭をたくなどの工夫で、昭和初期には150蔵に増えた。だが、本州の酒が大量に流通し、消費嗜好の変化もあって酒蔵は激減。その流れを変えたのが酒米の開発だ。1998年の初雫を皮切りに、酒造適性に優れた吟風、彗星、きたしずくが誕生した。

日本一の最低気温であるマイナス41度(1902年)の記録を持つ北海道旭川市。厳寒の地の酒蔵、髙砂酒造の名物は、新酒を詰めたタンクを雪で覆って100日間熟成させた雪中貯蔵酒だ。

酒造りは酒蔵、米作りは農家が担うのが一般的だが、酒蔵でも農家でもない、機能性フィルムメーカーのきもとが、酒造りに関わって3年たった。本社は埼玉県さいたま市だが、1979年に創業社長、木本氏仁さんが「なるべく自然の状態を残した工場公園を目指したい」と、養老山と鈴鹿山脈の麓にある三重県いなべ市に、工場を新設。地元と関わる中で、過疎化と休耕田の増加を知り、2011年に社員による農耕事業、きもとファームを社会貢献として発足させた。
