弱肉強食の農協合併を強引に推進
固定費は全国平均を下回るが…

 最初に、京都の農協の職員数を見てみよう。農林水産省の統計によれば、中川がJA京都中央会会長に就いた95年度の農協職員数は3995人だった。それが2019年度までに1764人となり、56%減少している。同時期の全国の農協職員の減少率36%を大幅に上回る急激な人員削減が行われたことになる。

 その結果、農協の生産性が向上したのは確かだ。下図を見てほしい。中川が農協に大なたを振るい始めてから、京都の農協が筋肉質な経営体質に変わっていったのが分かる。

 中川は農協の再編について、吸収合併の形で進めたことをポイントに挙げている。合併する農協双方の立場を尊重する“対等合併”ではなく、主導権を握る側をはっきりさせる弱肉強食の合併でなければリストラや改革はできないという考え方だ。

 中川はJA京都が他の農協を統合する際、吸収される農協に、不良債権を全て整理すること、非効率の元凶となっていた子会社を独立させることを求めた。

 リストラを行う際の中川の冷徹ぶりは、八木町長時代に公営病院の経営を黒字化した際のやり方に表れている。病院の警備や掃除など外部に任せられるものは全て外注に切り替えた。薬品や文具などの調達も入札制に変更した。彼は、「従来にないやり方に各方面からクレームが持ち込まれたが一切無視した。一つでも既得権益を認めたら改革は頓挫する」と著書『弱みを強みに生きてきた この足が私の名刺』に誇らしげに書いている。