労組への圧力はこれにとどまらなかった。労組幹部ら4人は午後4時30分ごろまで内示を留保されたまま待機を強いられたが、キーパーソンだった書記長だけが中川から別室に呼び出され、どう喝されたのだ。

 中川は書記長に対し、「労組の役をやっているのか」「どこも(どこの部署・組織も、君を)要らんと言うとる」「JA全農(全国農業協同組合連合会)に行きたいんか(その場合、JAグループ京都の関連会社、京都協同管理に転籍してから全農に出向することになる)」「組合はどうする。辞めへんのか。あっち行ったら活動できんど」「農機(の担当)は長いらしいな。うちへ来いや。八木町へ来いや」「全農に話をしてみる。2日後話をする」「あかんかったらうちやど。どうするんや」などと畳み掛けた。

 同席したJA京都丹後の役員は、中川の発言をただ黙って聞いていたという。京都府労働委員会は後に、中川の書記長に対する発言を「遠隔地配転を示唆して労組からの脱退を促す脅迫である」と指摘。労働組合法で禁止されている不当労働行為と認定した。

写真:命令書中川泰宏が会長を務めるJA京都に対して、京都府労働委員会が2007年4月に出した命令書。JA京都の管理職が労働組合員に対して、組織的に脱退勧奨を行ったことなどを不当労働行為と認定し、誠実な態度で団体交渉に応じることや、労組に事務所を貸与することなどを求めている Photo by H.S.  拡大画像表示

 4月1日の農協合併まで、経営陣は管理職を動員して熾烈な労組脱退工作を仕掛け、弾圧した。その結果、170人以上いた労組組合員のほとんどが、自身が組合員であることを明らかにできない状況にまで追い込まれた。

 労組は合併後、JA京都の労組に名称を変えて存続したが、中川からの執拗な攻撃は続いた。

 4月4日には中川が労組委員長に電話し、「農協労組なんか飯食わしてくれへん」「(労組の組合員は)委員長ともう一人(次期委員長になる人物)しかいないだろう」などと発言し、労組からの脱退を促した。京都府労働委員会はこの発言も、後に不当労働行為であると認定した。

 それに続いて、労組にとって大打撃となったのが、労組事務所が入居していた農協の支店から立ち退きを強制されたことだ。JA京都から「4月26日に施設を解体する。それまでに出てくれ」と一方的に告げられ、労組は農協内に居場所を失った。代替施設を提供することなく行われたこの退去要請についても、京都府労働委員会から不当労働行為の認定を受けた。

 こうした京都府労働委員会による不当労働行為の認定、救済命令は07年4月のことで、実質的な農協側の全面敗訴といえる。同委員会が労働者側の申し立て内容を全面的に認めて救済命令を出すのは01年以来、実に6年ぶりのことだった。中小のブラック企業などではなく、農協という公的な組織が明確な労働組合法違反を行っていたことが明るみに出て、多くのメディアがJA京都の労組潰しについて報道した。

 労組は救済命令によって問題が解決することを期待した。しかし、実際にはそこから最高裁判所の判断に至るまでの長い消耗戦を強いられることになる。