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しかし、日本全国が、こぞって奇跡的な発展を遂げたのではない。地域別にみると、それぞれ、成長率に大きな差がみられる。
統計不備のため、最近の実績は不明だが、28~32年の5年間における所得の伸び率を地域別にみると、全国平均が60%増であったのに対して、東京都は、実に2.1倍という驚異的な伸びを示した。このほか、大阪府は2倍、愛知県は96%増とそれぞれ驚くべき成長を遂げたのである。
その反面、南九州の宮崎県は、わずか50%の伸びであった。鹿児島県も53%、山陰の島根県、四国の香川県などいずれも57%の成長にとどまった。
一般に、既成工業地帯の成長率が非常に大きく、農林業主体の地方は伸びが鈍かった。
この結果、この5年間に、経済的な勢力分布は、かなり大きく変化した。また、それに伴って、地域による所得較差もひどくなった。
こころみに、既成工業地帯である京浜、阪神、愛知、福岡の経済的位地の高まりかたをみると、27年には所得の合計が1兆9420億円で、全国の38%を占めていた。それが32年には、所得合計3兆7900億円にのぼり、全国に占める比重は46%に高まった。つまり、日本の経済力の半分は、既成工業地帯に依存する形になったのである。
所得較差もまた、一段と激しくなった。
1人当たりの1年の所得をみると全国の最高は東京都、最低は鹿児島県である。27年では、東京都が8万7000円、鹿児島県は3万5000円で、両者の開きは5万2000円であった。それが、32年には、東京都16万2000円に対して、鹿児島県は5万4000円と、両者の間に、実に10万8000円という大きな差がついてしまった』
こうした実態を踏まえ、地域格差がさらに広がらないよう、京浜、阪神、愛知、福岡の四大工業地帯以外の発展にも目を配るべきだとしている。
そこで、所得倍増を実現するためには、どうしても四大工業地帯以外の地域に、新しい工業用地を造成しなければならない』
【50】1962年
エネルギーの主役は石油へ
岐路に立つ石炭産業
戦後、「傾斜生産方式」による優先的な増産対策が行われ復興を支えた石炭産業は、1950年代後半から衰退の道をたどる。特に62年10月に原油の輸入が自由化されると、エネルギーの主役の座を完全に石油に譲ることになった。
62年9月3日号「岐路に立つ石炭会社のゆくえをさぐる」では、石炭各社(三井鉱山、三菱鉱業、日本炭鉱、雄別炭鉱、貝島炭鉱、明治鉱業、松島炭鉱)の9月期決算について、各社が大幅に赤字となる見通しに触れ、「石炭業界は事業始まって以来の難局にある。大幅な閉山と大量の人員整理が予想される」と述べている。今後、事業環境が好転する見込みは立たず、「おそらく前3月期が最後の黒字決算となるのではなかろうか」と、極めて厳しい見方を隠さない。
政府は55年に、石炭生産を大手炭鉱に集中させ、中小炭鉱を廃山させることを目的とした石炭鉱業合理化臨時措置法(5年間の時限立法)を制定していたが、もはや大手も存続できるかどうかの岐路に立っていた。記事には、大手各社の閉山候補のリストも掲載されている。
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単純な結論はむずかしいが、過去の合理化の状態、山自体の条件、将来性などから推定したものが上の一覧表である。
昭和37年4月現在では、大手14社の炭鉱数は60である。このうち今後5カ年間に閉山されると予想される炭鉱が23に達する。閉山の可能性もある山は10である。残る山は27で約半分となる。
しかし、出炭量でみると、閉山予想の炭量は約700万で、全体の2割強を占めている。人員は2割5分程度の減少となる。だが残った山、新しい山の能率は2倍近いものとなるから、人員は半減することになろう。
もし、このような閉山が行われるとするならば、閉山炭鉱の多いところは、残った山で閉山に伴う損失を埋めていくことになるから、非常に苦しい。
三井、三菱、明治、北炭、古河などの大手会社が大きな影響を受ける。住友石炭も奔別、奈井江に問題が残り、これらが閉山されることになれば苦しいことになる』
「エネルギー革命」が明確になる中、政府による石炭産業への政策支援はもはや産業振興でなく、労働者の転職支援や地域振興策に重点が移っていった。