【51】1963年
ケネディ米大統領の暗殺
日本経済への衝撃と影響

 1963年11月22日、米ジョン・F・ケネディがダラス市内をパレード中に銃撃された。国民から絶大な人気を誇った現職の大統領が白昼堂々と暗殺された事件は、世界中に衝撃を与えた。

「ダイヤモンド」も63年12月2日号で「ケネディ凶変で内外経済はどうなる?」という16ページの特集を組んでいる。同号では、第3特集「この波乱を生かす投資作戦」でニューヨーク市場をはじめ世界の株式市場の影響を論じているし、社説で「ケネディをいたみ、ジョンソンに期待する」とこの話題を取り上げ、顧問の星野直樹も「ケネディをいたむ」と題したコラムを寄せている。

1963年12月2日「ケネディ凶変で内外経済はどうなる?」1963年12月2日「ケネディ凶変で内外経済はどうなる?」
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『ケネディ米大統領凶変のニュースは一瞬、東西を問わず世界の人心を暗い谷間に突き落とした。ケネディ大統領が引いた軌跡―キューバ事件―核停条約―米ソ提携の宇宙開発―対ソ小麦輪出―があまりにも輝かしいものであり、平和への希望に満ちたものであったからだ。
 平和こそ、人種を問わず国民生活を豊かにする。東西経済交流の拡大は、歴史の流れであり大きな期待でもあった。
 ジョンソン新大統領はケネディの遺志を継ぎその路線を進むと言明した。だがその指導者によって政治のニュアンスは違ってくる。どういう形でケネディ路線を歩むか。それによって世界の政局は変わり、世界経済も変わってくる。日本経済や株式にもいろいろの影響が表れてこよう。
 ここに特集を試みたゆえんである』

 ケネディ政権の副大統領だったジョンソン新大統領に対しては、内政はともかく外交の手腕が未知数であることなどから、各界の識者に広く意見を聞いている。以下の面々だ。藤井丙午(八幡製鉄副社長)、林雄二郎(経済企画庁参事官)、堀越禎三(経団連事務局長)、木村孫八郎(経済評論家)、高橋陸郎(富士銀行外国部長)、小原陽二(日興証券調査部長)、瀬島龍三(伊藤忠商事取締役)、山中宏(明治生命常務)。

 ただ、ケネディ暗殺は、短期的には国際情勢に対する不安から株式市場などで一時的な動揺が生じたが、結果的には日本経済への直接的な影響は軽微に終わった。また、後を継いだジョンソン大統領は対日政策を大きく変更しなかったため、日米関係に大きな変化はなかった。日本は翌年の東京オリンピック開催を前に、内需の拡大と輸出の増加が続き、高度経済成長を維持する。