元フィデリティ投信の東京オフィスで、日本株、アジア株の株式調査部長、ファンドマネジャーとして活躍した後、40代でFIREしたポール・サイ氏。現在は、DFR(ダイヤモンド・フィナンシャル・リサーチ)アナリストとして、FIREするためのポートフォリオ作りや銘柄分析、推奨銘柄、投信の見極め方などを有料メルマガなどを通じて発信している。
今回からは投資にまつわることを中心として、私が幼い頃からこれまでにたどってきた道をご紹介したいと思います。そして、その投資の旅の途中で出会った、成功した投資家のことも紹介したいです。
周りに起業している人が多い環境で、幼い頃からビジネスや投資の話を聞いてきた。小さい頃からこのような話を聞くことは大事
私は台湾系アメリカ人です。9歳まで台湾に住んでおり、その後は米国に移住しました。米国の国籍と台湾の国籍を両方持っています。
子供の時、私の周りには起業している人が多かったです。
私の父は2つの会社を起こしていました。2社とも製造業関係でした。私の叔父さんは教育玩具の商社を起こしました。おじいさんは帽子の会社の起業に関わったのと、日本の敗戦後、台湾から撤退するとき、林業の会社の接収に関わりました。
そのため、夕食の食卓では、経済・ビジネス・投資などの話がよく出ました。
こういった環境で育ったので、自分も投資をしたり、さらには自分で何かビジネスを起こしたいと思うようになりました。長期の目標がなんとなく見えてきたのです。
ここまでのことから、みなさんにお伝えしたいのは、もし子供や孫がいれば、小さい頃からお金のことや経済の働きについて伝えるのは重要だということです。
お金自体を目標にすることはありませんが、お金はやりたいことを可能にする術になります。
また、投資は始めるのが早いほど、大きく報われ、リスクは小さくなります。そのカラクリを把握することはお金を貯めるのに役に立ちます。しかし、学校や社会では、ほとんどお金のことについて教えてくれません。これは米国でも日本でもいっしょです。なので、家庭でそのギャップを埋めるしかないのです。
高校の時、バンク・オブ・アメリカで銀行口座を開設。それは経済的自立への第一歩だった
高校生になると、将来、アジアと米国の間の架け橋になるのが自分にとって一番いいことだと考えました。
台湾にいたので、中国語は母国語としてできました。英語も母国語としてできました。アジア圏で大国の1つは日本なので、あとは日本語を習えば、アジアで使われる主要な言語はすべて使えることになると思いました。そこで、土曜日の補講で日本語を習い、さらに夏休みに台湾へ帰ったときは日本語の塾に通いました。
米国では高校生から運転免許が取れて、自分の銀行口座も作れるようになります。この時期にバンク・オブ・アメリカで銀行口座を作りました。初めての銀行口座でした。キャッシュカードももらって、自分で初めてお金の管理を試すことができました。
銀行口座を持つことは経済的自立への第一歩です。できれば、小さい頃から、子供や孫には銀行口座を持たせるべきだと思います。
大学1年生の頃、投資を開始。専攻した機械工学の最後の講義は機械工学ではなく、複利効果の話だったのが印象的だった
大学はUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)で、機械工学を勉強しました。その理由はアジアには製造業が多いからです。元々、機械に興味もありました。
大学に入ったら、お父さんは学費を負担してくれると言いました。だから、学生ローンを借りる必要はなかったのですが、学生ローンは金利が低いので、あえてそれを借りて、投資するのがいいと言われました。
そして、大学1年生の頃、初めてファンドを買いました。その時はアジアは成長すると考え、アジアパシフィックを中心に投資するファンドを買いました。特にいいパフォーマンスは出しませんでしたが、損もしなかったです。
その頃はインターネットバブルが近づいていた時期で、オンライン証券が存在感を増してきていました。私はE*トレードで口座を作りました。ウォール・ストリート・ジャーナルのような経済紙を毎日読むようになりました。学校の勉強は工学でしたが、それだけでなく、自分で株のことを勉強していました。
途中、交換留学で東京大学の工学部へ留学しました。そのため、株式投資の活動はいったん休止しました。
そして、交換留学から戻ったら、すぐエクソンモービルの内定をもらいました。卒業する前の半年はインターンとして、学校に通いながら、エンジニアの仕事をやっていました。
機械工学の卒業プロジェクト、その最後の講義はとても印象的なものでした。
先生はその日は機械工学の話をまったくせずに、人生とお金のことについて語ってくれました。特に複利効果についてです。
早めに投資すれば、複利効果があるので、あとで大きな違いが出ると先生は話していました。現在の1ドルは将来の10ドルになるかもしれません。投資で成功する確率は、リスク管理がある程度できていれば、時間軸が長いほど確かなものになります。
この時期のことから、みなさんにお伝えしたいのは、少額でもいいので、遅くとも大学時代から投資は絶対に始めた方がいいということです。株の動向やお金のカラクリを勉強するようにしなければいけません。そして、この時点での投資は勉強になるため、失敗してもいいのです。
社会人になってインターネットバブルに乗り、運良くバブル崩壊前に株を売り切った
社会人になった頃は、ちょうどインターネットバブルの始まりでした。その時はインターネットは現代の鉄道だ、産業革命だなどと言われていて、いろいろな会社が続々とできていました。
そして、ビジネスの夢をうまく描くだけで、バリュエーションがずいぶん高い水準まで株価が上がりました。その時のことはよく覚えています。株価指数は毎日上昇していました。そして、多くの人たちが成金になる夢に惹かれて、投機的な取引をやっていました。私のポートフォリオにもテクノロジー株が結構ありましたので、その恩恵を受けました。
その時の投資手法は、業績を予想して、企業価値を計算するというよりも、いいニュースをキャッチし、勢いのあるチャートを追いかけるという感じでした。アマチュアの投資家によくあることです。
うまくやれば、このような手法が別に問題あるわけでもないですが、株のモメンタムにとらわれて、うまく売るタイミングを逃してしまう可能性があります。バブルにやられやすいとも言えます。ニュースを追いかける以上の分析ができるかどうかがプロとアマチュアの違いかもしれません。
当時、私がやっていたことはバブルから逃れられるような投資手法ではありませんでしたが、ちょうど2000年にビジネススクールに行こうかと考えていたので、その学費に充てるため、バブルが崩壊する前に運良く持ち株をほとんど売却することができました。
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