還暦を迎えた筆者が「私の年齢は60歳ではなく10歳です」と思う本音は?
太田さん、還暦の誕生日おめでとうございます ―。
先週木曜日の7月4日。米国の独立記念日である日は私の誕生日でもある。日頃お世話になっている多くの方々からのお祝いメッセージをいただいた。この場をお借りして厚く御礼申し上げたい。ところで、1989年に公開された米国映画『7月4日に生まれて』の主演を務めたのはトム・クルーズであるが、彼の誕生日は7月3日。「1日サバを読んでいるじゃないか」と私は冗談交じりに言うのだが、本来ならば私が主演すべき映画だ。あるいは、同じく7月4日生まれの大城ガクトさん、すなわちGacktが主演をすべき映画だと言って皆を笑わせることにしている。
ところで、「私の年齢は還暦とは違いますよ~」というのが本音だ。私は今年で10歳だ。10歳と言えば小学4年生である。「私の年齢は60歳ではなく10歳です」と言うと、大抵は妙な顔をされるのだが、本気で10歳だと思っている。なぜ「10歳なのか?」を説明したい。
過酷だった30歳までの人生。「人生50年」と覚悟し、必死に生き抜いた
これは「実年齢-50歳=10歳」。そもそも若い頃の私は「人生50年」という信念で生きてきたので、50歳以降のことはほとんど何も考えていなかった。なぜなら、私の人生の半分である30歳までが自分にとってあまりにも過酷だったからだ。思い詰めていた。
私の父は私が物心をつく前に亡くなっていたし、母親は再婚するも茨の道。家は極貧生活。学校の先生を目指して苦学して頑張ったものの、競争倍率が高すぎて教員採用試験には不合格。文学部フランス文学科出身の私になかなか就職先などなく、半ばお情けで拾ってもらった第一證券に入社して社会人になったとたんにバブルが崩壊。残業代が減らされ、ボーナスはたちまちゼロ。そして年齢制限で独身寮を追い出されて手取り10万円を切ったのが28歳の夏。自分なりに懸命に頑張っていた28歳の夏。「働けど、働けど……じっと手を見る」という石川啄木の世界を生きていた。ひとすじの涙。どうすりゃいいの我が人生…。絶望的な気分だった。
猛勉強して証券アナリスト試験に合格し、30歳で外資系運用会社に転職
社会人になって勤務した過酷な証券業界では病に倒れたり、突然死したりする先輩や同僚の姿をたくさん見てきた。とにかく、まともな生活をするためには現状ではいけない。山一證券は倒産するし、拓銀は破綻、次は弱小の第一證券か、という感じだった。「人生50年」と決めて、50年だけは生きてみようと決意。死んだ覚悟で文学部出身の私が猛勉強。証券アナリスト試験を見事に突破した。そして、ちょうど30歳の時にチャンスがやって来た。モルガン・グレンフェルという外資系運用会社への転職の道が拓けたのだ。ようやくまともな人生がスタートした。
50歳を越えたら「おまけの人生」くらいに思っていた。ところが、世間が「人生100年時代」などと言い出し、その折り返し地点を過ぎてしまってもすこぶる健康な私は考えをガラリと改めたのだ。すなわち、50歳を迎えた後は第二の人生。あと50年生きればちょうど100歳。
50歳以降は「おまけの人生」と考えると、加齢に対してポジティブに
そうすると、年齢に対してポジティブな考え方ができるようになった。すなわち、60歳でも「まだ10歳」なのだから、小学四年生と同じ。若いのだ。 平均寿命から逆算して「あと何年生きられるのかなぁ…」みたいな発想が全くなくなる。だって、皆さんも10歳の頃に自分の寿命のことなど一時たりとも考えたことはないでしょ? それと同じだ。とにかく、70歳を超える頃になると平均寿命のことを考えて「あと自分は何年生きられるのか…」というマイナス思考になってしまう。チャレンジできるようなことにも億劫になってしまうのが世間一般だ。
私が投資助言業務をしている個人投資家が、次のようなことを言ってきた。
「私は67歳の女性です。でも、あと何年資産運用できるか…」
67歳と思うから67歳なのだ。私からすれば17歳だ。すなわち、本当は17歳のギャル。ピチピチしているまさにピチピチギャルだ。この夏は新しいビキニで友達と海水浴。「キャー、楽しい~」というお年頃だ。皆さんどうですか、この考え。新しいビキニを買って海水浴、いやハワイにでも行って弾けちゃうのと、「あと自分の残りの人生は何年…」とウジウジ家で引きこもるのと、どちらがいいかは明確だと思う。「85歳?」。「違いますよ。35歳。働き盛りです」と言いたい。
一度経験した若い年齢に立ち返って生活すれば、第二の人生が楽しくなる
一度経験したことがある若い年齢の自分に立ち返って生活すれば、第二の人生の方が「経験もある」し「知恵もある」し、「お金もある」し、「面白おかしく、楽しい」人生のはずだ。100歳までも楽々と生きられそうな気がする。皆さん、そう思いませんか?
私が生まれたのは1964年。実はこの年は日本にとってエポックメイキングな年である。東京オリンピック開催、東海道新幹線開通、東京モノレール開業と日本がまさに高度成長期の真っ只中にあり、まだ貧しくともひたむきな姿勢で生きていて、日本人が最も輝いていた時代だったと思う。ついでだが、東京の国立西洋美術館で「ミロのビーナス特別公開展」が開かれ、6時間もの行列に並んで人々が熱心に見学していたのも1964年である。
あれから60年が経過し、今の私がいる。小学生の頃には想像もしていなかった年齢に達してしまった。「みんなは2000年には何をしているのかな?」と当時小学3年生の時の担任の先生が授業中に言ったのを昨日のことのように覚えている。「2000年かぁ…想像もできない未来。自分は36歳。何をしているのだろう」と子供心に自問自答したその2000年はあっと言う間にやってきてしまい、あれからすでに24年もの時間が経過している…信じられない気分だ。
「勝者のポートフォリオ」は絶好調。資産を形成し、人生を謳歌しよう!
今私は1974年の自分を思い返しながら生きている。50歳を超えたら「実年齢-50歳」が自分の本当の年齢だと思いながら生きる。そうすると、今まで見えなかった展望が拓けるはずだ。
さて、太田忠投資評価研究所とダイヤモンド・フィナンシャル・リサーチ(DFR)がコラボレーションして投資助言を行っている「勝者のポートフォリオ」。7月5日時点のパフォーマンスはちょうど+64.7%(配当込みベースでの同期間比較:TOPIX+51.7%、日経平均+46.6%、東証グロース250指数-41.2%)となり、マーケットを大きく凌駕している。
2大特典として毎月のWebセミナー開催とスペシャル講義を提供している。7月4日(木)20時より第31回Webセミナーを開催。テーマは『来たるべき金融相場での投資戦略』。平日夜にもかかわらず290名もの参加者となり、Q&Aを含めた終了時刻は22:55。すでに会員ページのアーカイブにて動画がアップ済みだ。次回は8月8日(木)20時より開催予定である。10日間の無料お試し期間を使えば誰でも参加が可能だ。
スペシャル講義では『ポートフォリオ理論』に続き、太田流『ポートフォリオ実践』をスタートした。資産運用においてポートフォリオ運用のノウハウを知っておくことは必須であり、個人投資家にそれを身に付けてもらうことを目的としている。また、太田流『新NISA活用法』もすでに完結した。700名近くの会員たちはすでにバッチリ新NISAに取り組んでおり大きな成果を出している。資産運用を真剣にお考えの皆さま、「勝者のポートフォリオ」で一緒に大きく飛躍しましょう。ぜひ、ご参加をお待ちしております。
●太田 忠 DFR投資助言者。ジャーディン・フレミング証券(現JPモルガン証券)などでおもに中小型株のアナリストとして活躍。国内外で6年間にわたり、ランキングトップを維持した。現在は、中小型株だけではなく、市場全体から割安株を見つけ出す、バリュー株ハンターとしてもDFRへのレポート提供によるメルマガ配信などで活躍。
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