【66】1978年
社会問題化する“サラ金”
大手銀行の進出を検証
高度経済成長を経て、1970年代は大衆消費社会を背景とした諸問題が噴出する時代でもあった。いわゆるマルチ商法(連鎖販売取引)やねずみ講(無限連鎖講)、強引な訪問販売などが社会問題となり、商品の品質、性能、安全性に関するトラブルも、たびたびニュースになった。
また、サラリーマン金融(サラ金)と呼ばれた消費者金融が勃興し、急成長したのもこの時代である。1978年1月28日号「都銀進出で風雲急を告げる“サラ金”業界」では、マルイト(後のアコム)、プロミス、武富士、レイクの大手4社はいずれも業績絶好調で、上場大手の信販会社の収益力をはるかに上回る稼ぎっぷりを伝え、都市銀行がサラ金業界への進出を画策していると報じている。
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消費者ローンへのニーズが増大していく中で、“サラ金”大手は不況知らずの高収益をあげてきた。一方、昨年の外資上陸を契機に、銀行が消費者金融への方向転換を開始し、信販、信金、郵政省などの本格参入で、風雲急を告げてきた。
果たして日本に消費者信用産業は育ちうるのか。なにやら、乱戦のあまり、消費者の実像を見落としそうな雲行きだ』
1977年には米国の大手消費者金融企業アプコ・ファイナンシャル・サービスが日本でサービスを開始。その後も外資系企業が日本市場へと続々と参入してくるとみられていた。すでに信用金庫などの中小金融機関やノンバンク(信販会社)は消費者への融資を始めていたし、郵便局も教育ローンを取り扱う準備を進めていた。そのため、大手銀行による消費者金融への進出は時間の問題とみられていたのだ。
もっとも大手銀行は、消費者金融業界への「融資」という意味では、とっくに参入はしていた。というのも、戦後の復興期および高度成長期は、銀行の資金は重化学工業を中心とする基幹産業へ回され、個人への直接融資はほぼ行われなかった。しかし、70年代に入ると大企業の内部留保が蓄積し、さらに石油危機に伴って資金需要が減退したことも重なり、多くの銀行がカネ余りに陥っていた。そのため、急成長する消費者金融業界を格好の貸出先となったのだ。
一方で、「高金利、過酷な取り立て、過剰融資」といった「サラ金三悪」が取り沙汰され、「サラ金地獄」といった言葉が生まれたのも70年代後半の話だ。強引な貸し付けや取り立てを苦にした自殺や家庭崩壊などが社会問題ともなっていた。
ちなみに78年3月には、大蔵省から全国銀行協会連合会等の関係6団体に対し、消費者金融への融資自粛を求める通達が出されている。銀行局長だった徳田博美の名前をとって「徳田通達」と呼ばれる。83年には貸金規制法が制定され、消費者金融への規制が強まっていった。
結局、銀行が「貸金業法」の対象となる消費者金融に直接的に参入することはなかったが、「銀行法」の中で中小企業や個人向け融資のリテール部門に力を入れていく。銀行が消費者金融業者と合弁などのかたちで本格的に消費者金融に乗り出すのは、2000年前後の金融ビッグバン以降のことである。