◆ウォン・カーウァイ監督の『恋する惑星』を再びスクリーンで観た。初めて観たのは29年前だ。『恋する惑星』は1994年に制作され、日本公開が翌年だった。今年で制作30周年を迎える。それを記念して期間限定でリバイバル上映されたのだ。撮影監督クリストファー・ドイルとコンビを組んで生み出したスタイリッシュな映像は、それまでのアジア映画のイメージを一新した。29年ぶりに観て改めてそのセンスに脱帽したが、しかし、同時に単なるノスタルジーとは別の感傷が、僕の胸に去来したのも事実である。
◆アジア株のファンドマネージャーをしていた90年代、アジアを飛び回っていた。いつも旅の起点はアジアのゲートウエイである香港だった。カーウァイ作品がブレイクしたのと、僕が香港に通った時代はシンクロしている。ドイルのキャメラに映し取られた香港のストリートを実際に歩き、スクリーンから立ち上るアジアの熱気をリアルタイムで体感してきた。思い入れはひとしおである。カーウァイ作品にも、その舞台である香港にも。
◆一昨日の土曜日9月28日で、香港民主派の大規模デモ「雨傘運動」からちょうど10年。香港は中国への返還後も政治的自由が保障されていたはずだった。しかし、民主化運動は国家安全維持法(国安法)で完全に封じ込められた。「一国二制度」「高度な自治」は有名無実となった。2024年3月には香港立法会(議会)が、国家反逆行為などを取り締まる国家安全条例(国安条例)を成立させ、「民主的な香港」は事実上、消滅したといえる。
◆映画評論家の森直人氏は、「『恋する惑星』はウォン・カーウァイがまだ英国領だった最後の時期―90年代中頃の混沌とした香港のストリートを映し出している現代劇という点で、カーウァイのフィルモグラフィーの中でもすごく貴重な一本。いまやどこにも存在しない、歴史的にも地理的にも特別な場所と時代」と述べている。中国は、そんな「特別なもの」を喪ったことに気づいてはいまい。共産党幹部が『恋する惑星』を観たとしても、あの世界観に共感することは決してないだろうと思うからである。
◆『恋する惑星』が撮られてから30年。いまはもう、あの頃の香港はどこにも存在しない。映画はリバイバル上映されても、リアルな香港は甦らない。劇場を出たあとも、僕の頭の中では「California Dreaming」が鳴っていた。そしてその音楽は映画と同様に突然、断絶される。あとには静寂が物悲しく横たわる。
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