長期投資を成功させ、約3500億円以上の資産を築いたハービー・ワートハイム博士
多くの人々が、巨万の富を築くには特別な才能や巨額の初期投資が必要だと考えています。しかし、ハービー・ワートハイム博士の人生は、その考えを覆すものです。
彼は慎重で忍耐強い長期投資によって、資産を23億ドル(約3500億円)以上に成長させました。その背景には、波乱万丈の人生と、独自の哲学に基づいた決断の積み重ねがありました。彼の人生をたどっていくと、長期投資の重要性がよくわかるようになります。
ワートハイム博士の幼い頃の家庭環境は厳しかった
ハービー・ワートハイム博士は1939年、アメリカ・フィラデルフィアで生まれました。彼の両親はナチス・ドイツから逃れてきた移民で、当時の生活は非常に苦難に満ちたものでした。
幼い頃、彼の家族はフロリダ州ハリウッドでベーカリーを営み、店の上の階に住んでいました。しかし、家庭環境は厳しく、彼は父親から身体的虐待を受けながら育ちました。
そうした困難な状況から逃れるため、彼は幼少期から家出を繰り返し、地元のセミノール族というインディアンの一民族とともにエバーグレーズというフロリダ州南部の湿地帯で生活していたこともありました。
海軍への入隊が人生を大きく変えるきっかけになった
学校生活でも困難は続きました。
ワートハイム博士は科学や数学には優れていましたが、読むことが苦手だったのです。現在ではディスレクシア(読字障害)の影響だったと考えられていますが、当時はただ「もっと努力しろ」と言われるだけでした。それでも彼は決して挫折せず、学校外での経験や学びを活かして、自らを成長させていきました。
16歳の時、地元の裁判官によって、矯正施設か米海軍への入隊を選ぶよう命じられ、彼は海軍を選びました。この決断が彼の人生を大きく変えるきっかけとなります。海軍での生活は彼に規律と教育を与え、彼の潜在能力を引き出しました。
航空電子工学を学び、その後、誘導ミサイルの技術やダイビングの訓練を受け、さらには海軍のパイロットとして活躍しました。海軍で得たこれらの経験と知識が、彼ののちのキャリア形成に大きな影響を与えたのです。
レンズの色調整技術などを開発し、起業した会社は年商2500万ドル規模に成長
海軍除隊後、ワートハイム博士はNASA(アメリカ航空宇宙局)で働き、視覚や神経学に関する研究を行いました。
彼の興味は「見ること」という人間の基本的な感覚に集中し、これがのちに彼が目の保護に関する発明を行う基盤となりました。
南メンフィスにあるサザン・カレッジ・オブ・オプトメトリーという視力に関する専門の学校へ奨学金を得て入学し、卒業後は自身のクリニックを開業しました。ここでは、地域の労働者階級の患者を支え、時にはマンゴーやアボカドで診療費を受け取ることもありました。
そして、ワートハイム博士の発明家としての才能は、この時期に開花したのです。1969年、彼はプラスチックレンズ用のUV保護コーティングを開発し、これが世界中で数百万人の視力を守る重要な技術となりました。
1970年にはBrain Power, Inc.(BPI)を設立し、レンズの色調整技術やその他の光学技術を開発しました。これらの製品は世界中の企業に採用され、BPIは年商2500万ドル(1ドル=154円として約39億円)規模の企業に成長しました。
何千億円相当もの資産を築くことができたのは、企業の長期的成長の可能性を信じる姿勢を持っていたことにあり
年商2500万ドルだと、企業としては決して大きな規模とは言えませんが、ワートハイム博士はこれを出発点として、投資を通じて、何千億円相当もの資産を築くことができたのです。
その秘訣は長期投資にありました。ワートハイム博士が成功できた真の理由は、彼の投資戦略にあります。
彼は初めての投資でリア・シグラー(現在は非上場企業)の株を購入し、「知っていることに投資する」という哲学を実践しました。これはフィデリティのピーター・リンチも推奨している戦略です。企業の技術力や特許の価値を評価し、信念を持って株を保有し続けました。
たとえば、マイクロソフト(ティッカー:MSFT)やアップル(ティッカー:AAPL)といった企業は初期の頃、中には新規上場時から購入していたものもあって、このような銘柄の評価額は今日では数億ドル規模に成長しています。
こうした成功の背景には、ワートハイム博士が短期的な市場の変動に動じることなく、企業の長期的成長の可能性を信じる姿勢を持っていたことがありました。
出発点がどんなに困難な状況であっても、成功できる可能性はある!
彼の人生哲学もまた、多くの人にインスピレーションを与えます。
「時間は私たち全員に与えられた共通の財産であり、それをどう使うかが私たちを定義する」と彼は言います。
成功を「毎朝、自分のやりたいことをすること」と定義し、人生を楽しむ一方、教育や医療の分野で多くの寄付を行いました。彼の財団は、公立大学の奨学金や研究施設の設立など、多岐にわたる社会貢献を続けています。
ハービー・ワートハイム博士の人生は、困難な環境から始まりましたが、自らの努力と知識で道を切り開いてきました。その物語は、どのような境遇にあっても成功は可能であることを教えてくれます。
そして、少額から始めた投資であっても、忍耐と長期的な視点を持つことで、驚くべき成果を達成できるという希望を私たちに与えてくれるのです。大きな成功を収めるためには、やはり長期的な努力、知恵、忍耐力が必要です。
●ポール・サイ ストラテジスト。外資系資産運用会社・フィデリティ投信にて株式アナリストとして活躍。上海オフィスの立ち上げ、中国株調査部長、日本株調査部長として株式調査を12年以上携わった後、2017年に独立。40代でFIREし、現在は、不動産投資と米国株式を中心に運用。UCLA機械工学部卒、カーネギーメロン大学MBA修了。台湾系アメリカ人、中国語、英語、日本語堪能。米国株などでの資産運用を助言するメルマガを配信中。