子どものための支出は、どこまでが投資で、どこからが消費なのか
アメリカに住んでいると、ときどき驚くような子育てを見ることがあります。
子どものテニスや乗馬、ホッケーに年間4万ドル、5万ドル、それ以上を使う家庭。より強いチームでプレーするために、高校生の子どもが親元を離れて別の都市の家庭に住むことさえあります。
日本ではここまでスポーツにお金をかける家庭は多くないかもしれません。しかし、こうした構造そのものはアメリカ特有のものではないと思います。
イラスト:いらすとや
日本なら、塾、中学受験、私立学校、英語教育、ピアノやバレエ、家庭教師、留学。親に余裕があるほど「子どものためなら最高の環境を与えたい」と思うのは、ごく自然なことです。私自身、親としてその気持ちがよくわかります。
しかし、ここにはパーソナルファイナンスとして、非常におもしろい問題が隠れています。
子どものための支出は、どこまでが投資で、どこからが消費なのか。そして、もっと根本的には、子どもの「今の幸せ」と「将来の自由」をどう配分すればいいのか。私はこの問題を考えるとき、いつもFIREの考え方に戻ります。
10ドルを今日使わずに投資に回せば、将来20ドルにも30ドルにもなっているかもしれない
私は10ドルを使うとき、ときどき考えます。この10ドルは、本当に10ドルなのだろうか、と。
今日使わずに投資に回せば、将来20ドルにも30ドルにもなっているかもしれない。つまり、今日の消費には、目に見えない値札が付いています。将来得られたはずの複利を手放すというコストです。
FIREの本質は、節約ではありません。私はむしろ「満足を人生のどこに配分するかを、自分で決める思想」だと思っています。今、使えるお金を全部使わず、一部で将来の自由を買う。その中心にあるのが「満足遅延」という能力です。
お金は複利で増える可能性があるが、その一方、人生は永遠ではなく、残された時間は毎年確実に減っていく
ただし、これを極端にすると別の問題が出てきます。
人間は永遠には生きられません。お金は複利で増える可能性がありますが、残された時間は毎年確実に減っていく。50歳の人が旅行を10年先送りすることと、20歳の人のそれは同じではありません。
子どもが小さいうちにしかできない家族旅行があり、親が元気なうちにしかできない旅行があります。
つまり、私たちは常に2本の曲線を同時に見ているのです。お金は複利で増える。使える時間は減っていく。だからFIREの目的は「できるだけ我慢すること」ではなく、今と将来の満足の配分を意識的に決めることです。
そして最近、この考え方はそのまま子育てに当てはまると思うようになりました。
「子どものため」という言葉に親は弱く、財布のひもが緩んでしまいがち
自分のためなら「高いからやめておこう」と判断できる人でも、子どものためとなると財布のひもが急に緩むことがあります。
もっと良い塾、もっと良い学校、早くからの英語。ピアノも水泳もプログラミングも。アメリカならクラブチームと個人コーチ。親には払える。子どもは喜ぶ。すると、「子どものためなのだから、これは投資だ」と考えやすくなる。でも、本当にそうでしょうか。
たとえば、ある習い事やスポーツに年間500万円相当を8年間使えば、4000万円です。これを投資に回していれば、将来、さらに大きな金額になっていた可能性があります。
子どもの習い事やスポーツへの支出が本当に投資的に成功する場合もあるが、多くの場合は「価値のある消費」にとどまる
もちろん、子どもの習い事やスポーツへの支出の投資的側面が本物になる場合もあります。
スポーツで大学から正式にリクルートされ、カーネギーメロンやジョンズ・ホプキンスのような大学への入学可能性が実際に高まるなら、努力が競技力となり、それが入学上の優位性となって、高度な教育と将来の職業機会につながることになります。これは人的資本への投資と言えます。
しかし、すべての習い事がそうなるわけではありません。
多くの場合に残るのは、子どもが楽しんだ。家族に良い思い出ができた。友達ができた。自信がついた──それで十分なのです。ただし、それは投資ではなく、「価値のある消費」です。この区別が大切だと思います。
消費が悪いのではありません。旅行も、おいしい食事も、趣味も消費であり、人生は金融リターンを生むものだけで、できているわけではありません。
親にお金があるほど、子どものためだから、習い事への支出は投資だからといって、支出に上限がなくなり、止まらなくなる
問題はただ1つ、「子どものためだから」という理由ですべての支出を投資と呼んでしまうことです。そうすると、支出から上限が消えます。
しかも、親にお金があるほど「もっと良く」が止まりません。もっと良い塾、もっと良いコーチ、もっと大きな大会。周りがやれば、うちもやりたくなる。「ここまでやったのだから、もう少し」「ここで止めたら子どもが不利になるかもしれない」。
全員が支出を増やしても相対的な順位が変わらないなら、これは経済学でいう軍拡競争に近い。そして裕福な家庭には、自然なストップがありません。お金では止まらない。だから最後に必要になるのは、判断力です。
マシュマロ・テストの結果は、「待てる子どもほど将来成功する」という単純なストーリーとして広まったが…
マシュマロ・テストという有名な心理学実験があります。
「マシュマロを今、1つ食べてもいいけれど、少し待つことができれば、もう1つあげるよ」と子どもに伝え、反応を見るのです。
マシュマロ・テストの結果は、「待てる子どもほど将来成功する」という単純なストーリーとして広まりました。
ただし、もっと厳密に言うと、2018年に発表されたマシュマロ・テスト再検証の研究では、家庭環境や認知能力を考慮すると、この関係はかなり小さくなったことがわかりました。「4歳で我慢できれば人生成功」という話ではなかったのです。
ダニーデン研究では、幼少期の自己統制が成人後の健康、経済状態などと関連していることが示された
一方で、もっと広い意味での自己統制については、重みのある研究があります。ニュージーランドのダニーデン研究は約1000人を子ども時代から成人まで追跡し、幼少期の自己統制が成人後の健康、金銭管理、貯蓄、経済状態と関連していることを示しました。
もちろん、人生を決めるのは自己統制だけではありません。知能、教育、環境、健康、人脈、運。それでも、目の前の欲求を少し抑えて将来のために動ける力が、勉強にも健康にも仕事にも投資にも効くのは確かだと思います。
しかも、この力は固定された性格ではなく、介入によって一定程度育てられるという研究もあります。つまり、日常の中で「待つ」「選ぶ」「諦める」「結果を受け入れる」という経験を積むこと自体に意味があるのです。
裕福な家庭に生じる少し皮肉な問題とは?
ここで、裕福な家庭には少し皮肉な問題が生じます。
普通の家庭なら「高すぎるから無理」で終わる場面が終わらない。もっと習いたい――払える。もっと良い学校へ――払える。もっと旅行を――払える。すばらしいことです。
しかし、人生とは本来、何かを選べば何かを諦めることの連続です。親がお金ですべての制約を消してしまうと、子どもはその練習の機会を失いかねません。
そして白状すれば、我慢できないのは子どもだけではありません。親自身も我慢できない。子どもには「将来のために今はがんばりなさい」と言いながら、親は「子どもが今喜ぶのだから」と払ってしまう。子どもの喜ぶ顔は、親にとって最強の報酬だからです。
子育てには、親自身の満足遅延という問題がかかわってくる――これは私自身、耳の痛い話です。
それでも、子ども時代は一度しかない
では、すべてを将来に回せばいいのか。それも、もちろん違います。子ども時代は一度しかないからです。
10歳で夢中になったスポーツ、中学生のときの音楽、高校生のときの留学。その年齢、その友人、その家族構成でしか得られない経験があり、あとから同じお金を使っても同じ経験にはなりません。
「500万円を投資すれば将来もっと増える」は正しい。しかし、「今しかできないことを逃せば、二度と戻らない」も正しい。お金は複利で増えますが、経験には有効期限があります。
一方で、子どもには大人にない巨大な資産があります。時間です。
10歳の子どもには、この先、何十年もの複利期間がある。10歳で身についた貯蓄の習慣、待つ習慣、努力を先にする習慣は、その後の人生で何十年も働き続けます。複利で増えるのはお金だけではなく、習慣もです。
ただし、子どもには時間があるからといって、何でも後回しにすればいいわけではありません。子どもの時間そのものにも、今しかない価値がある。このバランスこそが難しいのです。
子どもの頃の生活水準が高いと、将来、自分でそれを維持できるかという問題が生じることがある
もう1つ、私が重要だと思う問題があります。子どもの頃の生活水準です。
高額な習い事、私立学校、頻繁な海外旅行、高級ホテル、大きな家。それが「普通」になったとします。しかし、それを支えているのは親の所得と資産であり、大人になった本人が同じ水準を自分の所得で維持できるとは限りません。
すると「子どもの頃の生活水準」が「成人後の自分の稼得能力」を上回るというギャップが生まれやすくなります。
客観的に見れば、十分良い生活でも、本人には転落と感じられる。これは心理的なハードランディングです。
ここにも唯一の正解はありません。「大人になって同じ生活ができなくても、子ども時代に最高の経験をさせたい」も1つの価値観。「将来、自分で維持できない水準を当たり前にさせたくない」も1つの価値観。
つまり、親は実のところ、このリスクをどこまで受け入れるかを選んでいるのです。子どもが将来、高所得を得られれば問題なし。親が資産を渡し続けるならそれも答え。本人が柔軟に受け入れられるならそれもいい。
苦しいのは、高い消費期待だけが残り、それを支える能力が育たない場合です。これは甘やかしの問題ではなく、期待する生活水準とそれを維持する能力のミスマッチです。
[参考記事]
●お金持ちの親を持つ子どもがハッピーとは限らない。それはなぜか? その答えは自分への投資のリターンが大きい可能性が高いこととつながっている
経験することにお金をかけることをやめ、資金を全部投資に回して実現するような極端なFIREは間違いだ
裕福な家庭では、お金を出すことより、出せるのに出さないことの方が難しいです。もっと良い塾に行ける――でも、行かない。もっと良いホテルに泊まれる――でも、今日は普通のホテルにする。子どもを苦労させるためではなく、制約の中で選ぶ力を育てるためです。
FIREにも同じ構造があります。「買えないから買わない」のではなく、「買えるけれど、今は買わない」。この2つの間には大きな距離があり、後者はかなり高度な能力です。
ただし、極端なFIREも間違いです。
旅行をやめ、趣味をやめ、子どもとの経験を削り、全部投資して、最後に大きな資産だけが残る――それが成功でしょうか。私はそうは思いません。
FIREの目的は、できるだけ大きなお金を残して死ぬことではなく、限られた人生をどう使うかを自分で選べる自由を増やすことです。
だから、今しかできないことは、今やるのがいい。子どもが小さいとき、親が元気なとき、家族がそろっているとき、体力があるとき。お金だけでなく、機会にも複利と期限があるのです。
FIREは「満足を人生のどこに置くかを自分で決める思想」である
まとめると、私はFIREを「満足をできるだけ先送りする思想」だとは思っていません。「満足を人生のどこに置くかを自分で決める思想」です。
お金を今日使うか、10年後か、老後にか、子どもにか、それとも資産として残すか。
唯一の正解はなく、重要なのは、社会や周囲に決めてもらうのではなく、自分で意識して選ぶことです。
[参考記事]
●富を次世代に残す秘訣とは? 子孫にはお金と家訓をセットで残すべき。成功した一族の家訓を紹介する
子育ても同じです。今どれだけ楽しませ、どれだけ将来のために残し、どれだけぜいたくな経験をさせ、どれだけ不便や失望を経験させ、どこから本人に選ばせるのか。これらは公式では解けません。
生活の基本が満たされた先の世界では、お金は数学であることをやめ、「自分にとって、お金は何のためにあるのか」という哲学になります。最高の経験を与えることが愛なのか。少し我慢させることが愛なのか。おそらく答えは、そのすべてのどこかにあります。
結局、どうすればいいのか? 最後は価値観の問題であり、答えを出せるのはあなた自身だけ
最後に、正直に言います。「では結局どうすればいいのか」という問いに、私は答えを持っていません。私が答えるべき問題でもないと思っています。
投資でも、FIREでも、子育てでも、私にできるのは考えるための枠組みを提供することまでです。
今使うお金には、失われる複利という値札がある。しかし、先送りした経験には、二度と戻らないものがある。お金は複利で増える。人生には期限がある。この2つをどう折り合わせるかは、最後には価値観の問題です。利回りを計算しても、答えは出ません。
最後の答えを出せるのは、あなた自身だけです。
●ポール・サイ ストラテジスト。外資系資産運用会社・フィデリティ投信にて株式アナリストとして活躍。上海オフィスの立ち上げ、中国株調査部長、日本株調査部長として株式調査に12年以上携わった後、2017年に独立。40代でFIREし、現在は、不動産投資と米国株式を中心に運用。UCLA機械工学部卒、カーネギーメロン大学MBA修了。台湾系アメリカ人、中国語、英語、日本語に堪能。米国株などの資産運用について助言するメルマガ「米国株&世界の株に投資しよう!」を配信中。著書『台湾系アメリカ人が教える 米国株で一生安心のお金をつくる方法!』発売中。
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